chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

GP静岡に遊びにいきました

ちょもすです。GP静岡に行ってきました。

 

『グランプリ・静岡2017秋』

 

グランプリってなんぞやっていう人に念のため説明しておくと、マジック・ザ・ギャザリングっていう太古のカードゲームが定期的に開く公式の大会です。といっても強い奴しかいないガチガチの奴じゃなくて、僕みたいなパンピーでも出れて二日間でその時つえーやつを決める、比較的カジュアルめな大会です。

 

なぜ

そもそもなんで僕が行くことになったかというと、半年くらい前にこの大会に出ようって話を普段LoLを一緒に遊んでる奴としていて、今回は3人チーム戦だから3人必要で、その界隈でMTGのルールがわかる奴が数人しかいないから、必然的に僕が借り出されることになったんですよね。ある時参加費が13000円ってわかってちょっと「えー」ってなったけど、人数的に僕が出れば3人だし、一人は大阪から来るからオフ会と観光も兼ねられるし、グランプリの様子をしっかり見たこともないから経験として行ってみようみたいなマインドで臨みました。

 

いや、すごい前に決まったことだったから、ウォーブレの大会の前の週だとかは思いもしてなかったんですよ。そもそもウォーブレの抽選受かるかもわからなかったしさ。だから結果的に最近毎週末違うカードゲームの大会に出る節操のないオタクみたいになっちゃってるんですけど、色々と偶然が重なってこうなってしまっていることをいい訳しておきます。

 

ちなみに、今回静岡に行く旨をTwitterで全く書かなかったり、会場でも犯罪者のようにコソコソと立ち回っていたのは、タキニキあたりの人に見つかろうものなら「おいおいおいおいおいおいおいおい」と旧世紀のチンピラばりにマウントを取られそうだったからです。マジックおじさんは怖い。

 

どうした

結果的には2-4で即死しました。そもそも普段は家帰ってきてLoLで遊ぶチームだし、マジックなんか滅多にやらないチームだから当たり前ですね。

 

今回の大会はシールド戦って言って、複数のパックを空けたの中から即席で3人分のデッキを組んで戦うレギュレーションだったんだけれど、これがもうすげー難しかった。やってるうちにデッキの問題点を見つけるのってそこまで難しくないけど、やる前からデッキの問題点を見つけるのってすごい特殊な技能だよね。その技能を評価する大会っていうのが最近僕が忘れていた視点というか、インターネットで最強プレイヤーの自己顕示欲から生まれるデッキ画像を最速でコピーして回して俺TUEEEする日常と離れた世界だな、と思った。いや、どっちがいいとかじゃないよ。なんならどっちも悪いと僕は思うんだけど、僕の見てるカードゲームの日常と離れた世界だな、と思った。

 

どうだった

ここは書きたいことがとてもたくさんあるので、いいところ編とわるいところ編に分ける。

 

いいところ編

まずGP静岡に参加してよかったから書いてみよう。一番はじめにすごいなと思ったところは、対戦相手のバリエーションがとんでもなく多いというところ。

 

僕が対戦しただけでも、

 

女装していて萌え系のスリーブにデッキが入っていて、赤白の恐竜でめちゃくちゃアグロしてくる人。

外国人の人で、人質取りを出して「このファッキンボム(ボムとは強いカードのことを指す)やばすぎw」みたいなことを隣のチームメイトと英語で話してる人。

スリーブに入れないでプレイしてるからかカードの横に傷がついてて「これアリなんだろうか……」と思わず僕が思ってしまう人。

 

いやもうね。すごいよ。ゲーム以外の情報量が、あまりにも多いんだよ。デジタルカードゲームをやってるとせいぜい相手が小気味良くエモーションを打ってくるくらいだけど、その人が女装なのか外人なのかスリーブ無しでやってるのかはわからないわけじゃん。インターネットで済んでしまうランクマッチは対戦に必要ない情報はほとんど開示されないけれど、それがわかってしまうのって、一周回ってすごいことだなと思った。

 

それでさ、普段だったら絶対関わらないだろうなってそういう人達と、楽しくゲームができちゃうんだよ。「このファッキンボムやばすぎw」みたいなこと言ってた外国人の人に対して「何がファッキンボムじゃこのクソ外国人が、このカード強すぎだろいい加減にしろよマジで」って僕は内心思ってたんだけど、対戦が終了したら急に日本語でペラペラ話しかけてくるわけ。

 

「日本語喋れるんですか!?」って数字を英語で喋ってたのめっちゃバカらしいなと思いながら聞いたら「隣の二人は日本語喋れないんですけど、相手の人が全員外国人だと思って情報を喋ったりするから日本語喋れないフリをしててほしいって言われた」って言ってて思わず笑ってしまった。その戦略についてじゃないよ。そういう状況がカードゲームをやってて起こるんだな、ってところに笑っちゃった。そんな状況になる大会に出たことがなかったから。ああ世界は広いなって思っちゃったよ。

 

そのファッキンボム外国人3人組も悪意があるっていうよりは、凄い楽しそうにプレイしてるんだよね。均衡してる盤面で僕の隣が6マナ寝かすと両腕を上げて「オウ!シット!」とか言い出すし、二日目にたまたまその外国人の一人を見かけた時は、剥いたパックのレアカードをサイコロのダイス目で取るか取らざるやを決めて盛り上がってる日本人三人組を見ながら終止ニヤニヤしてた。

 

GP静岡に出ていなかったら、あんなリアクションの面白い外国人とコミュニケーションを取らないまま人生を終えてしまったかもしれないけれど、出たことによってコミュニケーションを取ることができた。別にそれ自体が何かの得になるわけじゃないけど、それ自体がすごく面白いことだと思うんだよね。1990~2000年代の普遍的な価値観だった“たかがゲーム”が、外国人との架け橋になってるわけじゃん。

 

あとね、一日目終わった後の静岡駅周辺の居酒屋とか飯屋の回りを歩いていて思ったけど、三人組のカードゲームオタクがめっちゃいるんだよ。マジで。どの店に入っても三人組のカードゲームオタクいるから。町起こしだよあれ。経済効果がすげえなと思った。

 

複数のタクシーの運転手さんに話を聞いても「カードゲームの大会でしょ?もうツインメッセ20回転してるよ」とか、「数週間前にもカードゲームの大会(=日本選手権)あったよね?外国人も来るしすごいねえ、トランプとか花札みたいなもん?」って聞かれるからすごい。

 

紙のカードゲームの大会を見たことは何度もあるけれど、世界規模な紙のカードゲームの大会ってあんまり見たことがなかったから、何もかも新鮮だった。とにかく色んな人を巻き込んでいるし、色んな人に関わることになる。昔のバイト先の上司はフィーチャーされてるし、なんなら僕がサイドイベントの賞品をもらってウキウキしているところをしっかり見られるし、新幹線にはレジェンダリーな人々が同じ号車に乗ってるし……。とにかく色んなことが起こって刺激的だった。マジックの歴史の成せる技なんだろうなあ。

 

わるいところ編

逆に、あんまり楽しくないなあと感じることもあった。

 

例えば二日目のサイドイベントで当たった対戦相手なんかは、土地一枚でキープしてそのまま土地を引かずに僕に印鑑をハンデスされて負ければ「呪われてる」って捨て台詞を僕に吐き捨てて言ったし、そいつの隣は紙をほとんど遊ばない僕の隣のどうでもいいルールの省略をおおげさに指摘してきたりする。サイドイベント0-2のクソ雑魚チーム同士の対戦なのに、相手にキレたりどうでもいい細かいルールを指摘してくるのはかなりアレだと思ってしまった。

 

どっちも同じ空き缶拾いなんだから仲良くやろうよと思うのは甘えなんでしょうか。ゲーム的にはそっちのほうが正しいから僕が間違ってるんだけど、ストイックだなあ、と。

 

僕がよく見るグランプリのニコ生とかTwitterを見ていて抱くグランプリのイメージは“初参加でもそれなりに楽しめる”ものだと思っていたんだけど、現実のグランプリはかなり競技的だな、と今回参加して感じた。特に発売直後のチームシールドなんてお祭りみたいなもんだろと思って参加した僕の認識は大きく間違っていて、想像以上に参加者が真剣で、ルールに厳格で、タイトでストイックなイベントだった。特に休憩の時間もないので、自分の試合が長くなれば数時間集中しっぱなしを求められることもある。

 

僕の認識が甘かったの重々承知なんだけれど、お祭りごとや一つのイベントとしてグランプリを捉えて、13000円の参加費でこのストイックさはどうしても他のエンターテイメントと比べてしまいたくなる。そのへんの「マジックに興味が出てきたしグランプリに参加してみようかな……」と思っているオタクには、「好きな声優のライブイベントに行け」と自信を持って言えるくらいには、エンターテイメントでない。参加費に見合った価値のないイベントだなんていうつもりはないけれど、あくまで滝にうたれて喜ぶ修行僧にとって価値のあるイベントだと思う。

 

大前提として、大会は無いよりある方がいいと思う。どんなに高い参加費を取ろうが、どんなにイマイチな体験になろうが、どんなゲームのプレイヤーにとっても大会は無いよりあったほうがいい。大会が無いゲームよりあるゲームの方がいいことは本当に痛感している。しているんだけど……。

 

こうしてグランプリに出てみるとより、前回のRAGEがいかにすごいイベントであったかを思い知らされるね。僕もサイゲ工作員とか書かれたくないのでこれ以上シャドウバースのことを褒めたくないんだけれど。

 

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……高額な参加費を取られるといちいち物を申したくなっちゃうのもよくないね。ある程度なら「スタッフもたくさんいるし、色々もらえるし、会場もいいところだし、頑張ってくれよな」って気持ちよくお金を払える。

 

でも、どう計算しても割高の参加費13000円を取っておいて参加者全員記入の同意書の例に「今日の日付である9/29を書いてください」って書いてあって自分のスマホを見ると9/30だったりすると、ちょっとルール間違えるとすぐ警告するくせにいい加減だなあと思うし、フリースナックを用意しておりますって書いてあって大量のうまい棒が置いてあったりすると、ハッパロイドにナチュラルフルーツを食わせる前に僕にまともなスナックを食わせろと言いたくなる。

 

とにかく高い。高いね。それに尽きる。

 

まとめ

競技的にMTGをやろうとすると急にハードルが上がることを痛感したので、知り合いに誘われた時だけ遊ぶぬるプレイで今後もしばらくはつき合っていこうと思いました。いつかがっつり時間が出来たら戦ってみたい気もするけれど、今年と来年の戦場はデジタルになりそうです。

 

 

 

それじゃあまた。

トガリトゲ

ちょもすです。

 

トガリトゲというとMOのクソバグデッキを思い出しますが、今日話したいのはトガリトゲのことではなく、僕自身が尖って生きて行くにはどうしたらいいのだろう、という話になります。

 

まず理想と現実を比べてみることにしましょう。理想は数年前のなんもわかってなかったころのように言いたい放題言いまくって関係ないとタカをくくっていたほうぼうの人達に迷惑をかけながらも自身が面白いことをやる、ということになるでしょう。一方現実は、なんもわかってなかったころよりも色々なことがわかってしまったことと、関係ないとタカをくくっていたほうぼうの人達が意外と身近になってしまったことでしょう。簡単に言うなら人は皆ウメハラをウメハラと呼びますが、僕はもしかしたら目に届くことがあるかもしれないからウメハラさんと書く、というようなことです。自意識過剰だと思いたいけれど、意外とそういうことってあるもんなんですよね。

 

結局そうなってくるとどんどんほうぼうをケアしながら書かなければいけないというか、尖った方向とは程遠い方向に進まなければいけないことになります。もしあの人が見て悲しい気持ちになったらどうしよう、もしあの人が見て怒らせてしまったらどうしよう。

 

最近、なんでもないところでそれを実感する例がありました。平田さんが配信者になりたいと呟いていた時に僕は「スナッフビデオ実況者とかどうですか?他にいないしチャンス」と即座にツイートして、その後「ジャン――ピアノ線での絞殺」という平田さんが一本目に実況するスナッフビデオのタイトルまで思いついたんですが、実際にツイートしたのは「スナッフビデオ実況者とかどうですか?」までです。いや、こうしてブログに書くくらいなので別にアウトゾーンかといえばそうではないし、特に誰が見て誰が不快になるというのもそんなに想像はできない(当のジャンさんは笑いそうだし)んですが、でもなんか僕のラインを越えてるかもな、という僕の感性が働いてその架空のスナッフビデオのタイトルは呟かずに終わりました。

 

フォロワー数的な話で、それなりの人々に注目されるというのは誰もができることではないと思うしありがたいことだとも思うのですが、と同時に、色々な制約も発生すると僕は考えています。ちゃんと企画してそれなりの情熱を持って動けばそれなりに人を集められる気もするし、それなりに生きていける気がしなくもないのですが、そうなったら例えばジャンさんや平田さんとしょうもないやりとりをTwitterでするのに今以上に障害が発生してくる気がしていて、それはちょっと嫌だななんて思ったりもします。

 

そこを公私で分けることでうまくやっている人もいたりいなかったりするわけですが、僕の場合そんなことをやってもうまくいかない気がするんですよね。なんというか、そのへんで嘘をつきはじめたら終わりというか。僕がつまらないゲームを笑顔で面白いって言いだしたら終わりじゃないですか。

 

結論は出ないんですけどね。ただなんか、PVを荒稼ぎできる人材を目指すというよりは、オタクへアプローチできる存在でありたいというか、そういう方向性でこれからも生きて行きたいなあと思いました。バケモノな人々に囲まれて生きているとそこを間違えそうになるので、その意思は強く持ち歩こうと思います。

 

そうするにはまずウォーブレの大会で勝つこと。勝てなくても一生懸命やること。いやもうそれに尽きるよ。今はやるべきことを尽くします。

 

 

それじゃあまた。

 

 

マルチなカードゲーマー戦略

ちょもすです。前回記事が思ったよりも好意的に受け入れられてて僕も中々のバランス感覚を身につけたなと自ら関心しています。慢心です。300RTくらい行くと大体「文章力が~」とか「文章のセンスが~」的なことを言及して頂いて真に光栄で何なら印刷して額縁に飾ろうと思うくらいなんですが、別に文章の勉強とかしたわけじゃないし、ジョブ系のあれそれでもしょっちゅう初歩的な手直しをされてしまうし、文章力とかセンスってなんなんだろうなということをいつも考えます。思うに投稿数だと思うんですけどね。何百回ももそれっぽい記事を書いてりゃなんとなく好意的に受け入れられる表現とか内容がわかってくるし、単純に“当たった”記事だけを見てちょもすの文章力がすごいとなっている、というか。僕の実感からゲームブログは「文章がうまい」と褒められるハードルがかなり低いので、褒められたい人にはおすすめのジャンルです。なんなら僕で良ければ相談に乗るので、その手の悩みがある人はchomoshxxx@gmail.comまで。

 

マルチなカードゲーマー戦略

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昔こんなことを書いて、この時はコンテンツを楽しむうえでマルチの方が得だよ、的なことを書いたと思うんですが、最近では別の視点でマルチなカードゲーマーが得だなと思うようになりました。

 

思考のきっかけは、シャドウバースに人生オールインしてしっかりと実力をつけるも、大会はDay1で即死して萎え、みたいな人を見ていたときです。念のため言っておきますけどゲームに対する批判じゃないですよ。ただ、実力差が極めて反映されやすい将棋とかと違って、うっかり下ブレで即死しかねないジャンルで人生をオールインするのはリスクが高いよね、って話です。

 

 

いやね、そりゃかっこいいんですよ。一つのことに何年も打ち込んで、極まったゲームプレイは美しい。一観客としても、そういうゲームプレイが見たいし憧れるけれども、現実のDCGはそれを支えるようにはなってはないわけじゃないですか。僕が50万を取ってから数年を過ごして思ったのは、「一回壇上に上がったもん勝ち」だってことです。壇上に上がると既得権益が発生するし、それは同ジャンルの他のタイトルをプレイする時にも持ち越します。事実はどうであれ「大会で勝った強い人なんだ」と思われやすい、ということです。

 

あくまで「壇上に上がる」のがポイントだと思います。注目度の高い大会で勝ち上がること。実力差はでやすいルールだけど、注目度の低い大会とかに勝ってもあまり意味がない。「知ってもらうこと」と言い換えることも出来るかもしれない。

 

で、同タイトルで「無名プレイヤーが注目度の高い大会で壇上に上がるチャンス」ってそんな多くないわけですよ。よっぽど運営が強大でも3ヶ月に1回くらいで、普通の運営なら良くて半年に1回、1年に1回だって普通です。こうして書くと世界規模にしてしまったMTGはカードゲームとしてすごすぎるなってことがよくわかるんですけど、そのへんはちょっと別の次元なので話を脇にどけておきます。

 

そういう少ないチャンスをモノにできる人もいるかもしれませんが、どこまでいってもカードゲームはカードゲームです。5000人の大会で20回に1回は優勝する超凄腕のプレイヤーがいたとしても、3ヶ月に1回開催される大会に毎回出たって下ブレしたら初優勝するのに5年かかります。じゃあどうするか。「壇上に上がれる大会に参加する回数」を増やすほかないと思うんですよね。

 

無論、あるタイトルに思い入れがあって、そのタイトルで成果を上げたい!と考えてる人にこの話は全く関係ありませんし、もっと短いスパンで大きな大会が開かれるタイトルが出現したら関係ありません。シャドバは若干その域に足を踏み入れかけているので、そろそろオールインしても元が取れる可能性が出てきましたが、仮にそうなったとしても100or0に近いギャンブルなのでハイリスクではある。

 

何が言いたいかって、触るタイトルを増やしてでも大会に参加する母数を増やすのは決して悪くないというか、カードゲーマーとして合理的なんじゃないか、ということです。他のジャンルに比べて運要素の比重が大きいから。一つのタイトルにこだわりつづける人はかっこいいけれど、世間はもうちょっとマルチなプレイヤーを認めてもいいのかな、なんてことを思いました。単純に新しいことって面白いしね。やれ「逃げた」だの「捨てた」だの、多すぎると思うんだよなあ。今はこれをやる、がもっと認められるといいですね。なんでかって僕が叩かれづらくなるからなんですけど。

 

 

 

自衛コラムでした。

 

それじゃあまた。

 

 

RAGE vol.5 with シャドバフェスはまごうことなき神イベントだった話

ちょもすです。RAGE vol.5 with シャドバフェスに行ってきました。

 

シャドバフェスに行くまで

そもそもなんで行く事になったかといえば、CoJPの賞金制大会の関東予選に、直前のRAGE関西予選であと一勝というところまで行ったそっちーがきていて、その日の予選に負けた奴らで飯を食ってる時にシャドバの話になったんですね。

 

そのときになんだかんだとシャドバの大会出ようぜみたいな流れになって出ることになった、と言えばそれまでなんですけど、僕はそのときに「あのゲーム実力差がそんなになあ……」みたいな話をして、そっちーに「いや、そんなことないよ。強い奴はみんなちゃんといいとこまで行ってる」と言い返されたことがすごく印象に残りました。

 

そこから時間もないうちに3人チーム戦の話が出てきて、そっちーが人を募集してたからTwitterで即飛びついて、そっちーがプリのパラさんを連れてきて、両脇がやたら強い謎のチームが出来た。さすがに構築は二人の方が絶対うまいので、当時まったくシャドバを触ってなかった僕でも間に合う可能性がありそうな2pickを担当することになって、ウォーブレと平行しながらコソコソと2pickうまそうな人のTwitter漁ったり、2pickの練習をしてました。Twitterでは特に呟かなかったですけど、実はまあまあやってたんですよ。突然シャドバにログインしだすから編集部でウルフさんに会った時に「ちょもすさんがログインしてて爆笑しましたwww」って言われてこの公認マークめっちゃ煽ってくるな……と思いながらも「シャドバフェスでデッキ相談しに行きます」と返したことを覚えています。

 

 行ってみて

いやもうね。東京ビッグサイトで国産デジタルカードゲームのイベントが行われるってことがまずもう超常現象なわけじゃないですか。ゲーセンやら貸しスペースやらでちまちまと遊んでいたデジタルカードゲームが、ですよ。東京ビッグサイトですよ。ビッグサイト。

 

会場の雰囲気も素晴らしいし、入り口で配るパンフレットにはGATSBYのデオドラントボディペーパーがついてるし、選手紹介の演出も素晴らしいし、何故か置いてあるスーパーマリオオデッセイも面白いし、最強覇権ゲームのPUBGも置いてあれば、比較的クオリティの高い飲食スペースと、かわいいコスプレイヤーがとっかえひっかえでてくるイベントですよ。あとついでに本心を飲み込みながらサイゲームスの犬と化したkuroebiさんの流麗な喋りも聞ける。

 

あのね。これが東京ゲームショーならわかるよ。でもこれカードゲームのイベントですよ。オタクが集まって臭くなるはずの空間が、そうでなくともちょっと入りづらい空気のはずのあの空間が、誰でも入れる楽しいイベントスペースになってるんですよ。これがどれほど凄いことか。今までのカードゲームのイベントに足しげく通っていた人はこの凄さがわかるんじゃないかな。

 

そして女性率の高さ。しかもカードゲーム界隈にありがちな山から出てきましたみたいな人がいるわけじゃなくて、なんかもう普通にかわいい人がそこらへんでおしゃれして歩いてるわけ。何兆回も言うけどこれカードゲームのイベントだよ。ありえないじゃん。

 

以前までのRAGEにもそういう風潮はあったけど、今回は特別それを感じた。ビッグサイトのパワーなのかな。とにかく楽しげなイベントだった。これを演出した人は本当に凄い。凄いとしかいいようがない。

 

対戦してみて

3人チーム戦はというと、結果から言えば個人3-1のチーム2-2でドロップ。結果だけ見るとなんか自分が頑張った風に見えるんだけど、わかんないところは横に聞きまくってたし、なんならしょうもないミスを指摘されまくってたので単純に僕の運が良くて、それ以上に横二人は下ブレしてたと思う。相手の人グラマスしか出てこなかったし、2戦目は既にシード持ち二人のチームが出てくるし、単純に大会のレベルももちろん高かったと思うから、実際どうなのかは僕にはよくわからないけど。

 

結果としては負けちゃったけど、でもやっぱり大会って楽しいな、と思った。色んな大会にでるたびにも思う。壇上に上がりたい。僕の目標はいつだって優勝じゃなくて、壇上に上がって暴れること。いやもちろん優勝したらより良いんだけど、あくまで暴れるところに生きがいを感じる。3回に1回優勝するよりも、3回とも壇上に上がりたい。

 

観戦してみて

RAGEは夢を与えるよね。ゲーマーなら誰しもあそこに立ちたいと思うだろうし、そのために頑張りたいと思う。あるいはまだ大会に出れない少年少女も、将来はゲームで頑張ってみようかなと思える大会。本当に素晴らしい大会だと思った。お金は確かにかかってるけれど、お金をかけただけじゃこの大会にはならないよ。

 

全く別の話になるけれど、観戦していて気づいたことがある。僕はときおりシャドウバースのことを「メンコ」と評するし、それを覆すつもりはないけれど、ある試合のある部分を切り取ったとき、「やりこみの差が出てるなあ、凄えなあ」と感じることもある。つまり、「メンコであること=やりこみの差が出ない」ということではない、ということ。それくらい見ていて「この人めちゃくちゃうまいなあ」と思ったり、見ていてドキドキする試合があった。シャドウバースはやりこみの差が、実力の差が、出る。

 

それでもなお「メンコ」という表現を覆さないのは、そのやりこみの差が勝敗に直結しないことが多いと感じるから。「あの人凄くうまくて、細かいところでアドバンテージを積み重ねてる……ああでもトップで引かれた……」みたいなこと結構あるじゃないですか。観客の反応や実況の盛り上がりを見ていても、緻密なプレイに会場が騒然とする(PTなんかを見ていると往々にしてある)というよりは、「引いた」「引けなかった」「引かれた」に大きくリアクションが起きる。それってつまりゲームのウェイトの多くがそこにあるってことなんだと思う。

 

もうちょっと“上手い”が評価されるシステムだといいんですけど、じゃあそういうゲームだった時に今回のビッグサイトの盛り上がりがあったかといえばそれはまた疑問系なので難しいところ。だからこれくらいが大きな意味では最適なのかもしれない。

 

ゲームの中身だけを見られてやれクソゲーだやれメンコゲーだと言われるし、Bブロックは立たされてRAGE vol.5のイメージ画像の中心はイケメンがポーズしてるけど、ゲーム外の部分まで含めたバランスという意味では、実はすごいバランスの取り方をしているんじゃないかとすら思う。オタクが最も重要視する“上手い”というパラメータは、ゲームの盛り上がりとそんなに関係がないのも、また事実だったりするのかもしれません。

 

……ああでも、今大会から導入されたDay1シードだけは本当にクソだと思う。知り合いの人に「マジックで言ったら9bye(9不戦勝のこと。=初日免除)だよ」と言われて、言いすぎではあるけど確かに、と思った。プレイヤーとしても理不尽さを感じるし、観客としても「でもあの人莫大なアドバンテージを生かして壇上に立ってるんでしょ」という歪んだ視点でどうしても見てしまう。見てる人にしたってうまい人はうまいと素直に認めたいんだから、いくらスター選手を作りたいからって思惑があるとしても、さすがにやりすぎだと思う。

 

まあ……これに関してはルールを作った人も出来うる中の最善を取ったのかなという見方もできる。日本の法律が悪さしてそうな雰囲気があるしね。シャドウバースの大会で実力主義的にするなら長いスパンでの結果を参照する必要があると思うけど、それをやると色々とひっかかりそうで、そうなると短期間での結果を参照する必要があって、そうするとシャドウバースのゲーム的に……みたいな。法律家じゃないから詳しい事はわからないけれど。

 

帰りの電車で

チーム戦0-2して暇そうにしていた平田さんと「眠いから」という理由で途中で一緒に帰ることになって、色んなことを駅までの帰り道で話しました。

 

件のあの人がなんで消えてしまったのか的な話を聞いたり、若者の文化に影響されたのかしきりに平田さんが「配信が熱い」「配信をやりたい」的なことを言ってくるので「平田さんとマブダチのSVGの株がストップ高だし、SVGのメンバーの家に順番に爆竹を投げ込む配信とかどうすか。電凸より爆竹凸の方が強いっす」とか言って見るも「俺はもう守りに入っちゃってそういうことはできない」とか言われて、僕も出来るだけ守りには入りたくないと常々思ってるけど、気持ちはすげえよくわかるなあ……なんて考えたりしました。

 

あのへんの動画に出れなくなってからシャドバ関連に関しては開き直れるようになったので、シャドバの話が最も気を使わずに書けて最近逆に感謝してるんですけどね。いつか壇上に上がれた時は、そんな話もできたらいいですね。勝たないでうだうだ言ってるのはただ格好悪いだけ。勝ちたい。

 

 

今日からウォーブレの大会に切り替えていきます。勝ちたい気持ちが日に日に増してゆく。

 

 

それじゃあまた。

Worlds

ちょもすです。

 

 

配信とかでは絶対やらないし特別口にすることもないけれど、僕はSeason2の頃から密かにLoLを遊び続けている。真ん中より上にはいるかなあ(P5で満足して放置してたらG1に落ちた)くらいの実力なので別にうまくはないんだけれど、最近はスポーツ観戦としてのLoLが本当に面白い。

 

上のDLの奴なんかもうこうさ……いや今まで「野球見てる奴ってあんな動きのないスポーツ見てて何がおもしれえの?」みたいな話をすると「選手のデータとか背景とか」みたいな話をされて「ふーん、そういうものなのか」って思ってたんだけど、最近その感覚がようやっと腑に落ちた。そして同時に、ゲーマーがここまでかっこいいものとして扱われていることに感動してしまう。ああこれからこういう動画を見て育った子供たちは、こういう価値観を持って育っていくのかな、なんてことを考えると、こう、感慨深いものがあるよね。時代は変わっているのだ。僕も変化しないとなあ。

 

一言日記でした。

 

それじゃあまた。

雑に遊ぶ

ちょもすです。何故今日ブログが更新されるかと言えば、外出したからです。これは逆に言うと、最近全然家から出なかったことを意味します。いや面白いことに、駅から歩いてちょっと汗かいて帰ってきて席に座った瞬間って、ブログ書く気になるんですよね。家にいると「ブログ書かないとなあ」と思いながらモダンキューブのJoin Leagueをポチーしちゃうんですけど、運動の後なのか、思考の後なのか、わからないけど帰宅という動きがなんかしらのトリガーを踏んでいて、書けるんですよ。昔配信をちょっと頑張ってたときも、面白いネタが浮かぶのってやっぱ帰宅してる最中だったしね。思いつめてる人はなんとなく電車に乗って何もせず帰ってくるみたいな謎ムーブをかますと妙なやる気が出るかもしれません。

 

飽きずに続けること

ドラクエをやってると色々と考えることがあります。例えば僕は昔RPGで隅々まで探索してアイテムの取り残しをしないようにプレイするタイプだったんですが、この歳になると全部の家を回るのがめんどくさくて、気が向いた家だけ入ってみるみたいな雑なプレイになるんですよ。こういう心境の変化ってなんなんだろう、とか。

 

結論というわけでもないんですけど、ふっと「無理したプレイして積んでしまうよりも、雑にプレイして最後まで遊んだ方が絶対いいよな」みたいなことを思いついて、自分で妙に納得したんですよ。積んでしまったゲームは山のようにあって、その経験が僕をドラクエを雑にプレイさせてるんじゃないかと。別に時間がないわけじゃないんですよ。やろうと思えばツボを一つ一つ割ってやることはできるけど、でもやりたくないからやらない。いやなんか、これって凄く大事なことのような気がするんですよね。

 

特にゲーム配信とかしているとパーフェクトでないプレイに対して「こうしろ」とか「下手すぎ」みたいなコメントが流れてきて辛い思いをするのはゲームを配信した人にとって誰しも経験があるんじゃあないかと思うんですが、パーフェクトなプレイを出来たとしても“やらない”のが当人にとって正解の場合って、あると思うんですよね。カードゲームの配信にしたってみんな盲目的に正しいプレイを追い求めるけど、モチベーションを維持するうえで、それがクソプレイだとわかっていてもクソプレイをする合理性はあるんじゃないか、と思うんです。

 

疲れちゃったり、飽きちゃったらそこで攻略は終わっちゃうんですよ。終了。効率の良さを求めた結果終了しちゃったら意味ないじゃないですか。続けないと意味がないんですよ。だから続けるために雑にやる選択肢っていうのは、今よりもうちょっと尊重されてもいいんじゃないかなあ、なんてことを思いました。

 

 

それじゃあまた。

 

デジタルカードゲームは何に金を払うのか

ちょもすです。連続更新記録は4日でした。問題は「休みの日は一生ゲームしてえ」というところで、一番簡単な解決法は土日も仕事するというところなのですがそれだけはやりたくないのでなんともというところです。休日はどうしてもルーチンから外れるよね。飲み会のあとにブログ更新とか持ってくるのしんどいから、その場合はブログ書いてから飲み会行ったりする必要があるんでしょう。これからも研究します。

 

何に金を払うのか

 

ふと思ったんですよね。一応ギリギリ紙からのTCGプレイヤーなので、なんとなしに「この効果のカードに対して僕は金を払ってるんだ」という認識に疑問を持たずに生きてきたんですが、DCG(デジタルカードゲーム)って割とカジュアルに能力変わるじゃないですか。強すぎたりとかで。紙とは違って刷り直さなくていいのも大きいし。

 

そうなると実はDCGって「あの効果のあのカードがほしい!課金!」みたいなのは半分合ってるんですけど半分間違っているんですよね。効果=価値がすぐ変わることがあるから。変動するデータなんですよ。むっくさんがアビリティが6面書いてあるサイコロを振って「固着」が出たらティアマトに「固着」がつくんですよ。

 

じゃあ何に金を払っているのかと言えば、特定の間特定のカードを使う権利。権利なんですよね。

 

RMTとかも含めればDCGのカードを資産ととらえることはできるかもしれないけど、一般的にはそうじゃないわけじゃないですか。だからあくまで「その時そのカードで遊ぶ権利」を買ってるんだなーということに、いまさらながら気づきました。もっと早く気付いてほしいですね。いやまったく。

 

でもそう考えると、権利を買うだけならカードパックを剥いて集める形式である必要って別にないのかななんて思います。それこそ、

 

 

こういうDCGがあってもいいんじゃないかな、とか。無課金だとせいぜい1クラスしか使えなくて、2000円払うと任意の3クラスくらいのデッキが自由に使えて大会に出れて、4000円払うと全カードプールが使える、フォイルを使うなら……みたいな。商業的にどうなの、みたいな話はあるけど、別に全然おかしな話じゃないよね。なんならこれの方が一回辞めても復帰しやすいわけですよ。僕がまだアケJをやってた頃に知り合いに「今復帰したいんだけど満足にプレイするにはいくらくらいいるの?」って聞かれて「10万」って答えたら「じゃあやめとくわ……」ってなった経緯があるんだけど、そういう悲劇が産まれないと考えれば悪くない気もするんですが、どうでしょう。

 

……見当違いなところがありそうなので、積極的にご意見お待ちしております。

 

それじゃあまた。