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chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

日記2

昨日書いたニートのA君(もうニートではなかった)と飯食った。仕事終わった後に。駅で待ち合わせをして。これが髭の生えたニートじゃなくて、能年玲奈ちゃんだったらなあ…と今日三回くらい思った。

うーんそうだな。一番の感想を挙げるとすると、「笑いのツボ」が違う人と話す時ってどうするんだろうね、という感じ。
別に良い悪いとかどっちか上か下かみたいな事はないと思うんですよ。でもさ、なんかこう僕が面白くない場面ですごく楽しそうに笑っている他人を見ると、少し上から目線になるよね。これは僕の悪癖なんだろうか。
A君にとって、”自分の働いているプールで田村ゆかりの曲が流れていて、先輩と「このプールも終わりだよな」っていう会話”は結構な笑いどころっぽかったんだよ。でも、なんか一段上の冷めた目線で見ていた僕がそこにはいたんだよな。それ以降、今日の僕は偉そうだった。さらに言えば、今は更に上からさっきの僕を観察している。うーん。

「笑いのツボ」問題は、「話が合わない」として片付けていい問題なんだろうか。

おそらく、僕の笑いのツボはかなりマイノリティだ。言いかえると、ハードルが高い。オタク的なコミュニティに属している時に特にそう感じる。職場とかでも割とそう。皆が笑っている所で、そこは別に面白くねえよなとふんぞりかえっている僕がいるのだ。

僕が今後人生を歩んでいく上で、笑いのハードルは下げた方が絶対に得だと思う。笑うことは楽しい。その回数は多い方が良いに決まっている。そして、偉そうにして得することは少ないだろう。
しかし、笑いのハードルって下がったりするんだろうか?

ぐぐった。

http://blog.owarai-technic.com/archives/48

笑いのハードルとは、相手の期待値

「笑いのハードル」とは、笑いに対する見ている側の期待値です。
期待値が大きければ大きいほど、それ以上の笑いを提供しないとウケません。

つまり全く同じギャグでも、ハードルが上がっている状態でやればウケなく、ハードルが低ければウケるということが起きます。
聞けば当たり前のように思えますが、実際の場面になると案外できていない人が多いです。笑える内容、笑えるネタをやることばっかりに意識を集中して、ハードルを意識しない、コントロールしないのです。

これも「笑えることを言えば、ウケるんだ。」という単純な発想からきていると思われますが、意図的に環境を整えるという技術も非常に重要です。

ああなんかわかってきた気がするぞ。僕は笑いに対して人に期待しすぎるのだ!
今まで意識してなかったけれど、僕は人を笑わせることにそれなりの努力を支払っていた。大戦やっている時の生放送とかまさにそれだ。
電車とか帰り道の中で面白い構図を描いて、頭の中で台本を書く。このタイミングでこれを言う、このタイミングではこのフレーズを使う。それを僕は頭でイメージしてから生放送に挑んでいた。ブログもそうだったな。どうすれば面白いかは結構考えてやっていたと思う。気持ち悪い言い方になるけど、僕は結構「狙っていた」。だから、人に対する笑いの期待値が高いんだろう。

しかし、生放送とかブログに関してはそれで疲れてやめてしまった感がある。こっちのブログは編集ページを開いてから書くことを考えていて、これはやっぱり精神的に楽である。狙って書くのも楽しかったけど、それとはまた違う楽しさを見つけた感じ。
その分、人の役に立ちにくいブログにはなっていると思うので、そこでがっかりしている人はいると思うし、なんだこいつはまだ厨二病をやっているのかと思われているとは思うんだけど、今は楽しいのでこれで良いかなと思っている。たまには狙って役に立ちそうな事も書いてカテゴリ分けるから許して!




…うーん?しかし原因はわかったけどスッキリ解決しないなあ。話の流れでいけば、僕が多分もっと「狙わない」とか「つまらない」人間になればいいんだろうけど、そんな事は望んでいないので…。あれー。
当面の宿題にしよう。今日は寝ます!おやすみなさい。