chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

トガリトゲ

ちょもすです。

 

トガリトゲというとMOのクソバグデッキを思い出しますが、今日話したいのはトガリトゲのことではなく、僕自身が尖って生きて行くにはどうしたらいいのだろう、という話になります。

 

まず理想と現実を比べてみることにしましょう。理想は数年前のなんもわかってなかったころのように言いたい放題言いまくって関係ないとタカをくくっていたほうぼうの人達に迷惑をかけながらも自身が面白いことをやる、ということになるでしょう。一方現実は、なんもわかってなかったころよりも色々なことがわかってしまったことと、関係ないとタカをくくっていたほうぼうの人達が意外と身近になってしまったことでしょう。簡単に言うなら人は皆ウメハラをウメハラと呼びますが、僕はもしかしたら目に届くことがあるかもしれないからウメハラさんと書く、というようなことです。自意識過剰だと思いたいけれど、意外とそういうことってあるもんなんですよね。

 

結局そうなってくるとどんどんほうぼうをケアしながら書かなければいけないというか、尖った方向とは程遠い方向に進まなければいけないことになります。もしあの人が見て悲しい気持ちになったらどうしよう、もしあの人が見て怒らせてしまったらどうしよう。

 

最近、なんでもないところでそれを実感する例がありました。平田さんが配信者になりたいと呟いていた時に僕は「スナッフビデオ実況者とかどうですか?他にいないしチャンス」と即座にツイートして、その後「ジャン――ピアノ線での絞殺」という平田さんが一本目に実況するスナッフビデオのタイトルまで思いついたんですが、実際にツイートしたのは「スナッフビデオ実況者とかどうですか?」までです。いや、こうしてブログに書くくらいなので別にアウトゾーンかといえばそうではないし、特に誰が見て誰が不快になるというのもそんなに想像はできない(当のジャンさんは笑いそうだし)んですが、でもなんか僕のラインを越えてるかもな、という僕の感性が働いてその架空のスナッフビデオのタイトルは呟かずに終わりました。

 

フォロワー数的な話で、それなりの人々に注目されるというのは誰もができることではないと思うしありがたいことだとも思うのですが、と同時に、色々な制約も発生すると僕は考えています。ちゃんと企画してそれなりの情熱を持って動けばそれなりに人を集められる気もするし、それなりに生きていける気がしなくもないのですが、そうなったら例えばジャンさんや平田さんとしょうもないやりとりをTwitterでするのに今以上に障害が発生してくる気がしていて、それはちょっと嫌だななんて思ったりもします。

 

そこを公私で分けることでうまくやっている人もいたりいなかったりするわけですが、僕の場合そんなことをやってもうまくいかない気がするんですよね。なんというか、そのへんで嘘をつきはじめたら終わりというか。僕がつまらないゲームを笑顔で面白いって言いだしたら終わりじゃないですか。

 

結論は出ないんですけどね。ただなんか、PVを荒稼ぎできる人材を目指すというよりは、オタクへアプローチできる存在でありたいというか、そういう方向性でこれからも生きて行きたいなあと思いました。バケモノな人々に囲まれて生きているとそこを間違えそうになるので、その意思は強く持ち歩こうと思います。

 

そうするにはまずウォーブレの大会で勝つこと。勝てなくても一生懸命やること。いやもうそれに尽きるよ。今はやるべきことを尽くします。

 

 

それじゃあまた。