chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

対戦ゲームとバランス調整

ちょもすです。もしかしてこれはあけましておめでとうございますでしょうか。それすらもわからなくなっているほど年末は引きこもっていたというか、知り合いとひたすら遊びながら過ごしておりました。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 

今ちょっと書いてみて違和感に気付きましたけど、知り合いと遊んでおきながらひきこもるってかなり図々しいですね。でも自然と出てきたワードなので普通に自分の中でそう思ってるんだと思います。要はTwitterとかBlogみたいな外部との連絡手段と遠ざかることをしてひきこもると捉えている、ということなんでしょう。

 

一般的なひきこもりとちょっと違いますけど、インターネットに生きがいを求めてしまった人間としては、これもまた一種のひきこもりなのかもしれません。僕が何が言いたいかというと、なんであれひきこもってても生きていけるだけのお金が欲しいということです。今年の目標は金です。

 

対戦ゲームとバランス調整

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獣道を見て、クーペレーションカップを見て、なんとなく考えたのは「対戦ゲームのアップデートの必要性」についてです。カードゲームしかり格闘ゲームしかり、およそ対戦ゲームと名のつく最近のゲームは、スパンに差はあれど、定期的にアップデートがなされる時代になりました。

 

あるカードが弱くされたり、あるキャラクターが強くなったり、最近のゲームはいともたやすく開発者の気まぐれでパラメータが変更されます。「今食ってたポテトチップスが上手かったからこのカードを強化しよう」を地で行く世界です。

 

それは言いすぎだと思うかもしれませんが、バランス調整などという答えのない曖昧なものに対して、商売であるがゆえに限られた期間内で決断する必要がある以上、ある程度主観が入ってしまうのは必然です。調整がうまくいくかどうかは運の要素もありますから、開発チームの能力が極めて高い場合を除き、「このカードが弱いと思うから強くしよう」と「今食ってたポテトチップスがうまかったからこのカードを強化しよう」は大差がない、と僕は考えています。

 

この状況に伴って、SNSで特定の強すぎる/弱すぎるキャラクターやカードに文句を言いまくり人々を扇動し、開発者に圧力をかけて調整させるのが最近の対戦ゲームの攻略なのではないか、と揶揄されるまでに至っています。簡単に調整できるようになったからこそ、「SNSでうるさく言われるから調整しよう」と開発者に思わせるのが重要になったというわけです。

 

事実そういう側面はあり、ゲーム会社としても騒がれまくってレビューに★1つをつけられまくるのは勘弁願いたいでしょうから、SNSでめちゃめちゃに言いまくってバランス調整を狙うという立ち回りは、調整前提の対戦ゲームの攻略としては極めて理にかなっています。

 

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色んな対戦ゲームを見てきて思うのは、そういった★1レビューを回避するためだけのヘイト調整をせざるを得ない世の中になってしまったな、ということです。これは開発者の暴走を止める側面もあるかもしれませんが、同時にゲームをさほど(少なくとも開発者より)理解していない人間の意見を採用せざるを得なくなってしまった、ということでもあります。ゲームのバランスとは無関係な“ゲームのバランス調整”が必要になってしまったんです。

 

バランス調整の必要性

一方で、です。冒頭で述べた獣道やクーペで種目として行われていた『STREET FIGHTER III 3rd STRIKE』は20年近く調整が入らないまま遊ばれています。これはプレイヤーやコミュニティの並々ならぬ努力があったことは言うまでもありませんが、対戦ゲームとして一つ確かなことは、このゲームはいくらSNSで騒いでもバランス調整が入りえないゲームである、ということです。

 

それでいてあれだけ感動的な試合が定期的に発生し、興行としても非常にレベルの高いイベントが開けるというのは、重要な事実のように思います。バランス調整をし続けることで長いこと遊ばれる完全に近いゲームができるかといえばそんなことはなく、むしろバランス調整を20年しなくても長く遊ばれるゲームは存在しうるという、その事実です。

 

いや、だからといってですよ。「バランス調整とゲームの良さは無関係!!!今すぐに全ての対戦ゲームはバランス調整をやめろwww」とかそんなまとめブログみたいなことを言うつもりはないですよ。バランス調整でゲームが良くなった例なんていくらでもありますし、2018年の今、バランス調整を前提にしないゲームを出すのは現実的に難しいでしょう。ただバランス調整ってなんだったっけ、ということと、バランス調整によって失うものもあるよね、ということは言っておきたかったんです。

 

例えばバランス調整前提のデジタルゲームは数年後に「あの時は先攻4ターン目に必ず死んでいて笑えた」なんて言っても実際に遊べませんけど、バランス調整が前提にないゲームなら今でも基盤を持ちだせば遊びえます。紙のカードゲームなんかも近いかもしれません。物さえあれば当時のカードプールで遊ぶことが可能ですから。

 

あるいは頻繁に行われるバランス調整によって、特定のキャラクターに入れ込むタイプのプレイヤーは生きづらくなってしまったかもしれません。特定のキャラクターが好きだから弱くても使っていたのに、何かの拍子で強くなり、その余波で弱くなり、今や見る影もないキャラクターになってしまい、遊ぶことも厳しくなった……なんて話は、対戦ゲーマーならよく聞く話ではないでしょうか。

 

性能も含めてそのキャラ/カードが好きだった、という状態があっても、SNSの情勢や開発者の気まぐれで変更される以上、それはもうただのデータとして向き合うしかないというか。いや、変更されなくてもデータですよ。ゲームなんだから。でもそういうことじゃなくて、人々がそのキャラに対して何を思って相対するかというところで、頻繁に能力が変更されるカードやキャラクターって、データとして接さざるを得ないと思うんですよね。もちろんそうでない人もたくさんいると思いますけど、昨今の流れに嫌気がさした人も少なくはないんじゃないかと思っています。

 

ちなみに僕は戦神・毘沙門で実感しました。すげー愛着のあるカードだったんですけど、スタン落ちして代替カードのゼウスが出てきた時に「ああこいつ、データなんだな……」って急に冷めてしまったことを強烈に覚えています。

 

 

 

 

調整をしなければインターネット総動員で攻略され飽きたと言われ、調整をすればインターネットで文句が沸き上がりまた調整を余儀なくされる。インターネットが対戦ゲームの情勢を全て変えてしまったと多くの人々が実感しはじめ、作る側も遊ぶ側も頭を悩ませるタネが増えてきた今、インターネットに適応した対戦ゲームの形は一体どこにあるんでしょうか。

 

 

 例のごとく投げっぱなしです。

 

  

それじゃあまた。