近頃の若者はなっとらん
ちょもすです。
対あり
この配信中によく出てくるエースバーン(最後も)、弊社担当(中の人)が使ってました。
— 【公式】SBI e-Sports (株) (@SBI_eSports) 2021年8月2日
勝ちたかったんですがすいません。
奇跡的に6連続くらい同じマッチになってた気がします。
ブログ見てます!
またよろしくお願いいたします。
「e-Sports」のついてるアカウントに「対戦ありがとうございました」されたので、何だこの野郎と思ってbioから公式ホームページを見に行ったら、
リリースに『「更生」を主目的とした長期インターン受入のお知らせ』ってあってシビれた。株式会社のニュース欄から「更生」って単語出てくるのすごいな。更生できたんだろうか。
閉じることの弊害
カジリガメに寄るとか寄らないとかの話で、人々の答え方が0か100になりがちな現象について書こうと思いましたが、これをはてなブログに書くのは一万円を握りしめてパチンコを打ちにいくそれなのでいずれnoteに書きたいと考えております。
最近は、こうしてオープンな場所でリスクある発言をすることから撤退していくとして、どういうデメリットがあるんだろうか、みたいなことを考えています。ちょっと閉じることで言論の自由が確保されることはわかった。自分も文字を書きやすくなる。それを支持してくれる人もたくさんいることがわかった。ありがたい。じゃあ、デメリットは?
例えば、先鋭化しそうというのはある。炎上リスクがある程度下げられる、ある種の甘えた環境に身を置くことで変な方向に突っ走るというのは結構ありそうな話だと思う。昭和の聞く耳もたないおやじとか、変な宗教的なそれとか。近頃の若者はなっとらん。
聞く耳を持たないステレオタイプのおやじ、よくダメなものとして揶揄の対象になりますけど、僕は最近あれを一つの形なんだと考えるようになりました。おやじにはおやじなりの理屈がある。
いやね、疲れるじゃないですか。柔軟でいることだったり、考え方をアップデートし続けるのって。柔軟でいるってことは自分や自分の記事への批判にも一つ一つ真摯に向き合うってことで、それは正しいし尊いことだけど、必ずエネルギーがいる。これ本当に厄介で、「正しい」ことの裏は「間違ってる」。でもエネルギーはいる。
世の中に真っ当な批判ばっかりだったらいいかもしれないけれど、その多くがただの理解不足だったり誹謗中傷だったりする。それらにいちいち「これは気にしてもしかたない」とするのだって、ちゃんとエネルギーを使う。正しいことは正しいけど、自分のエネルギーは有限。だったらもう近頃の若者はけしからんとか、世界が間違ってるで終わらせちゃった方が、疲れないし、疲れないから他に色んなことができる。
だから考えを止めちゃうのは合理的なんですよね。あれは疲れちゃった人の姿なんだと気づいた。疲れても向き合い続けると僕の場合「地球にコロニーを落とすしかねえ」にしかならない。じゃあ、という。
僕は今後「近頃の若者はなっとらん」になりたくはないというスタンスをとりつつも、「近頃の若者はなっとらん」という態度を取らないとどうしようもない時はある、という、極めてあいまいな、今のインターネット的でない態度をこれからは取りたいと思っております。
指針表明でした。
それじゃあまた。