chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

僕が『pogostuck』から学んだこと

ちょもすです。

 

 

『pogostuck』のmap2をクリアしました。

 

pogoの教え

『pogostuck』の話をするやつはクリアしていないことを「逃げ」と言い出す性根の腐ったマウンティング野郎か、あるいはネジが元から足りていない狂人という認識は恐らく合っている。だとすると僕の話も話半分に聞かれそうだが、どうかこの話だけはフラットに聞いてほしい。

 

このゲームには学びがある。自分がゲームをしていてどういう時に怒って、その怒りにはどう対処するか。そして僕がどういうことにモチベーションがあって、僕がやりこめるゲームとはなんなのか。それらを170時間自問し続けた時、なんとなくその答えが見えるようになった。Map1の難所であるきのこ地帯で6時間程度詰まった時は本当に絶望したし、正直もうこのゲームをやりたくはなかった。もっと楽に遊べて面白いゲームをやればいいじゃないかと。

 

苦しい。このゲームは確かに苦しい。一つのギミックを頑張って成功したとしても必ず元いた場所に戻され、そのギミックに戻るまで数時間かかってしまうこともザラにある。そうなれば自分の中には「あのギミックに挑戦したいのに」「なんで今までできたことができないんだ」というネガティブな感情が芽生え、ゲームをするのが嫌になる。

 

しかし冷静に考えてみれば、ギミックを一回成功したところで、「たまたまうまくいっただけ」に過ぎないのだ。一つのギミックを抜けた時には何かそこに達成感があってクリアした気にもなるけれど、現実は「たまたまうまくいっただけ」。何連続も成功して攻略した気になったそのギミックも「たまたま連続で成功しただけ」で、次に何連続で失敗したからといって、集中力が切れたわけでもスランプに陥ったわけでもない。上達したといったって、成功率10%が成功率20%になった程度のことがほとんどなのだ。そこを見誤ると辛い気持ちでプレイすることになる。

 

ゲームをやりこめばやりこむほど自責の念は強くなりがちだ。なぜ自分は愚かな選択肢を取ってしまったのか。この敗北は何が原因なのか。自分の誤ったプレイを見つけるため、自分に厳しくあり続けることが少なからず必要になる。

 

ただそこには重要な見落としもある。「慣れ」の存在だ。pogo君をどのように操作すればいいのかが頭の中ではわかっていても、実際にはなかなかにうまくいかない。こうすれば上手くいくのだとわかってそれが正しいのだとしても、微妙な角度の差異やパワーの調整は、莫大なプレイ時間の下支えがなければ成立しない。

 

理屈がわかっていても思い通りに操作できなかった自分を責めるのは正しいのか?これは正しくないと『pogostuck』を通して僕は結論づける。答えは「経験不足」であり、解決には「ただただ慣らす」しかない。うまくプレイできていない自分を責めるのはむしろ逆効果で、モチベーションの低下に繋がってプレイ回数を減らしてしまう。そうすれば「慣れ」からも、そしてクリアからも遠ざかる負のループが待っている。

 

上達の秘訣はどうしたって意識の高い結論の方が耳障りがいい。常に考え続けながらプレイする。リプレイを見返す。強い人からの意見をもらう。どれもまったく正しい。どれもまったく正しいけれど、それと同じくらい、まったく耳障りのよくない怠惰な結論として、「何も考えず170時間やる」というのも、きっと正しいのだ。

 

これは『pogostuck』を遊ばなければここまで確信を得られなかったと思う。この世に意味のないプレイはない。僕たちは未知のゲームに対して、何百時間も何千時間も費やして、はじめてその一歩を踏み出したりすることがあるんだと思う。「好きこそものの上手なれ」。ありきたりな言葉だけれど、ゲームを攻略するというのは、「どのようにしてそのゲームを好きであり続けるのか」を問うている。

 

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年末に皆さんのやるゲームは決まりましたね。

 

 

 

それじゃあまた。