三日坊主
ちょもすです。
三日連続更新するじゃないですか。四日目って書くこと何もないんですよ。何も書くことないんで今日遊んだゲームの話をします。
ネクサスブリッツ
ネクサスブリッツのアルファテストに参加しよう | League of Legends
League of Legendsのネクサスブリッツなる新モードがプレイアブルになったんで、暇なオタクの人と朝から遊んでみたんですけど、結構面白かったです。少なくとも真ん中にでっかいゼラスが真ん中でぼっ立ちしてるクソモードより1000000倍くらい面白い。
サモナーズリフトにツイステッドツリーラインとPUBGとOverwatchとその他の何かをかけ合わせたような、あるいはHotS的な何かというか、スマブラというか、なんとも言えないけど色んなゲームを混ぜたらこうなりました、でもLoLです、みたいな謎のゲーム。楽しい。
めちゃめちゃ一試合が早く終わるけど、LoLの面白いポイントはしっかり押さえてるから、ゲームの問題だった「ボリュームがありすぎてきつい」ところだったり、「Feedした時に苦しい気持ちでゲームを続けるのがつらい」みたいなところが解決された上で楽しく遊べる、いい感じのモードでした。
Feedしたりすると本当に一瞬で終わるので、そこに違和感を感じる人はいるかも。シーソーのバネと乗る人の体重を10倍にしました的なゲームなので、そういうのが好きな人はやってみる価値がありそうです。
なんでもない日記更新でした。
それじゃあまた。
ハンドルネーム
ちょもすです。
本名とハンドルネーム
名前の話って最近してたじゃないですか。別にこの議論に首を突っ込むつもりは全然なくて、本名の流れになってもハンドルネームの流れになってもどうでもいいって感じなんですけど、これを見てて思ったことが一つだけあって。
僕ってもう本名よりちょもすって名乗ることの方が多いし、伝わることの方が多いんですよ。そんな話もとれっどさんと飯くった時にしてまして。このことについてモノ申したそうに熱く語るとれっど選手を見て、いやほんとそうなんだよね~と思ったんですけど。
便宜上、今回の記事では僕の本名は海老江邦敬ということで話を進めるんですけど、僕って業務的なメールですら「お世話になっております、海老江です」って書く回数より、「お世話になっております、ちょもすです」って書く方が多いんですね。そっちの方が伝わるし、齟齬もおきないし、そもそもメールを頂いた時点で「ちょもす様」って書いてあるし。
そうなった時に何が起こるかっていうと、例えば大麻のキメすぎで僕が捕まったときに、ニュースサイトに「海老江容疑者が大麻で捕まった」って書かれるのと、「ちょもす容疑者が大麻で捕まった」って書かれるのどっちがダメージでかいかって、後者なんですよ。本名でもそこで顔写真が出ちゃって、ちょもすと紐づいたりしたらそりゃもうだめなんですけど、「海老江 大麻」って検索したときに「ちょもす」がサジェストに出てこなければ、正直捕まってもなんとかなっちゃうと思うんですよね。
本名よりもハンドルネームの方が価値が高くなりうるというか。一般的な価値観から言うと「本名でやらかすと面接でハジかれる」、「ハンドルネームでやらかしたらアカウントを作り直す」とかだと思うんですけど、ある一定のラインまで行くと「ハンドルネームでやらかすと仕事がなくなる」、「本名でやらかしてもなんとかなる」みたいな逆転現象が起きる。本名とハンドルネームで分離してる人について、本名の方が重要な情報なのかって言われたとき、一概にそうとも言えないのかもなーなんてことを思いました。
それじゃあまた。
ゲームと飽きとゲームオタク
ちょもすです。
昨日の補足というか
思ったよりも反響があってときどさんの力はすげーんだなあと改めて思いました。
言い訳みたいなものなんですけど、あの記事の中に書かなかったことって実は結構あって、僕の思ってることをちゃんと書いた方がもっと平和なんだろうなあっていう部分があるんですよ。
でも、書こうとしたら「金」とか「特定の職業」とか危険なワードを使いながらかなり深いところまで書かなきゃいけない必要性を感じて、6000文字くらいになってケアがめんどくさくてお蔵入りになる予感を感じたので、思い切って全部省略しました。いや、このパターンまじあるんですよ。熱が入りすぎて6000文字になったらケアすることが増えまくってもうめんどくせーってなってお蔵入りするやつ。だから僕の勝手で色んな人を不快にさせたり誤解させたりしてるかもしれません。そこはごめんなさい。
でもそこをヒヨると僕のブログが永久に更新されないので、僕は誤解を恐れず好き勝手言って、色んな優秀な人々が否定してくれたり補完してくれることを期待しながら、通常営業に戻りたいと思います。
※21:20追記
↓これとかすごくおもしろかったです
ご飯を食べました
新宿に野生のとれっどさんがいたので「どうしたらカードがうまくなるのか」聞いたところ「俺は元々うまかった」と言われたので、今後の大会全部負けて欲しいなと思いました
— chomosh (@chomosh) 2018年8月13日
月曜に飯食ったんですよ。今をときめくHearthstoneプレイヤーのTredsredさんと。
https://t.co/EGwsV1Pj4tよりスポンサードを受け、プロプレイヤーとして活動していくことになりました。今後、Hearthstoneを中心に大会の参加や記事の執筆をしていきます。よろしくお願いします。@4GamerNews
— Tredsred (@Tredsred) July 20, 2018
最初の出会いはShadowverseのRAGEであたった時に「あのちょもすさんですよね!?ブログ読んでます」って言われて、「あのTredsredさんですよね!?ブログ読んでます」って挨拶したら見事僕が2タテされて、二度とこいつのブログは読まねえと思ったところから。
その後も色んなゲームのメディア対抗戦で4gamerのカードおじさん枠で出てくるから出会う機会が多くて、気づいたら事務所でスト5対戦してて僕が勝ったからやっぱりTredsredさんのファンです、てなところなんですけど。
そんなとれっどさんと昨日飯を食って一番印象に残った話は、「ゲームって結構飽きるよね」っていう話。
実際僕がこれだけ対戦ゲームをやってきて、5年以上続けて遊べてるタイトルってなかなかないんですよ。LoLくらいかもしれない。そんな現実に対して、特定タイトルの看板プレイヤーみたいなものだとか、プロゲーマーみたいなものって、今はたくさん出てくる。そういう見せ方に周りの人も順応してか、例えばAのプロゲーマーがBのゲームを遊んでると「真面目にやってんのか」みたいになる。こういう今の状況って結構つらいよね、みたいな話をしていて。
もちろんそうでない人もいると思うんですけど、多くの人はゲームってやっぱりどっかで飽きるじゃないですか。普通は。小学生の頃にあのゲームをあれだけ遊んだとか、中学生の頃にあのゲームをあれだけやりこんだみたいな話はよくしますけど、よっぽど大作のRPGでも100~200時間とかですよ。ポケモンとかモンハンみたいな化け物タイトルで1000時間とかそういう話なってくると思うんですけど、それはほんとにごく限られた特定のとんでもないタイトルだけで。普通のゲームは100時間やったらよく遊んだなって感じだと思うんですね。
普通どこかで飽きちゃうんですよ。普通に遊んだら普通に飽きてしまうものに対して、求められるポーズが「1000時間追求し続けること」だったりするじゃないですか。プロは強かったらプレイ時間が1時間でもいいと僕は思うんですけど、多くの人はなんだかなあって思っちゃうじゃないですか。そこがすごく大変だと思うんですよね。
Tredさんはそのあたり「ゲームに飽きると集中力にも関わって、実感として勝ててない気がするから、大会までに飽きないようにプレイ量を調整する」って話をしてて、「うお~Tredsred最強!」ってなった。ひたすらにやりこんでやべえ!みたいなのは今まで注目されてきたけど、なるほどそういうアプローチもあるんだなあと。それでいて勝ちまくってるんだから、文句の言いようもない。
僕も続けて遊んでいきたいゲームに関しては、モチベーションを保つために工夫はしてたりしてなかったりするからすごく共感したうえで、こういういい意味で不真面目というか、がむしゃらにやらずに理詰めでやっていくとか、そういうのが凄くかっこいいなあと思いました。
いやでも、基本的にはふざけた奴なので叩き得だと思うんですけどね、Tredsred。
ジャカルタ、応援しております。
それじゃあまた。
ときどさんの情熱大陸を見て
ちょもすです。
2018/8/19までアーカイブが見れる。見るべし。
感想を端的に言えば、すごく嬉しくなった番組だった。
番組内でときどさんがことさらに強調していたのは、「(ゲームをひたすらにやり続ける)プロゲーマーは“変な人”達である」ということ。そして「最近それらが勝手に持ち上げられている」ということ。
多くの人が気づいていたけど表では言い出しづらかったそのことを、今日本で最も実績あるプロゲーマーの一人がテレビ番組で強調したことは、すごく意味のあることだと思う。
【e-Sportsの裏側】「僕は誰よりも強くありたい」狂った情熱が世界を変えるープロゲーマー藤村氏インタビュー https://t.co/ap9FOIhuVe
— Game*Spark (@gamespark) August 11, 2018
藤村:僕は結構冷めた目で見るというか、僕としてはただゲームをしているだけなのに、周りで持ち上げている人達がいて、調子に乗っている他のプレイヤーを見るとちょっと大丈夫なの?って思います。若い子はやっぱりそうなっちゃう人が多くて、いっぱいお金を出してもらえるので勘違いしちゃうのはしょうがないと思うんですが、自分の立ち位置を見失わないと言うか、浮かれすぎずにやっていってほしいなというのは周りを見て思いますね。過剰に持ち上げられすぎてて怖いなという思いは常にあります。
今や遠い人になってしまった藤村さんも最近インタビューでこんなことを言っていて、「やっぱり“藤村”なんだよなぁ」と思っていたんですよ。スト5で実績を残しまくっているこの二人が似たようなことを言っているのは興味深いことだし、今の立場でここまではっきりと言ってることはすごいことだと思う。
ここ数年で急に、ゲーム大会で優勝することはとても輝かしいことであり、プロゲーマーは素晴らしい人達であるみたいな空気を無理やり作られた気がしてならない。ゲームの大会で実績を残すことは確かに素晴らしいことなんだけれど、逆に言ってしまえばゲームの大会に優勝しただけ。プロのゲーマーになることも素晴らしいことだと思うんだけれど、じゃあそれがその辺の人に話しかけて凄いと思ってもらえることなのかという話で。
誤解のないようにいっておくと、それを誇らしいものだと評価してくれる世界はある。その世界で生きるならそれはかけがえのないことだと思うけれど、それはあくまでごく一部の世界でしかないのもきっとそうで、そのことを無視して素晴らしいものだとされすぎている、ということが僕の言いたいことである。
仮に僕が一流企業に履歴書を出すとなったときに、経歴に「Master of Agent 準優勝」だとか「Abema FRESH!杯 優勝 立った」だとか書けるのか、という話である。言ってしまえば一企業の商品のプロモーションの結果でしかないそのことに、どれほどの人が価値を見出すのか。あるいは、見出せるのか。
社会に通用しないから悪い、という話でもない。社会に通用しないから素晴らしくないとはならない。でもそういう価値観を持っている人が少なからずこの世にいることを、とかく無視した文脈が多すぎやしないだろうか。プロゲーマーとはとどのつまり狂人であって、狂人は尊敬されうるけれど、決して一般的なものではない。一般的でないからこそ、狂人なのである。そのことを、結果を残している人がしっかりと言葉にしてることに、僕は嬉しくなったのである。
僕のドラゴンクエストライバルズのデッキをコピーした挙句、モーモンを一枚別のカードに一秒で変えただけで「真ときど式ミネアが完成した」とか言い出すときどさんが狂人でないわけがないし、C.ヴァイパーで容赦なくハメまくってくるけどTERAを一日12時間くらいのペースで一緒に遊んでくれた(でもすぐ辞めた)藤村さんが狂人でないわけがない。
強くて、魅力があり、応援したい人達だと思うけれど、狂人であり、ハメ野郎であり、社会に全く適合していない生活を送っていた時代があったことも、また事実。そしてそのおかしさは、色んな人がもっと認めるべきだと思う。最近の流れは、対戦ゲーマーのだらしなさ、どうしようもなさ、くだらなさから、目を背けている。対戦ゲーマーという人種がどうしようもない人間だらけであることは、対戦ゲームを続けている時間が長ければ長いほど、わかっているはずなのに。
ときどさんが真に凄いのは、それを認めたうえで、その見え方と戦っているところ。誤解を恐れずに言えば、ジャンルに限らず多くのどうしようもないプロゲーマーがどうしようもないことで足を引っ張るのはわかりきっているはずなのに、ときどさんはプロゲーマーとして世間と戦う、という。番組や配信を見る限りそれも徹底的にやっている。表情の作り方はどう考えても研究しているし、ゲームも当然にうまくて、偏見と戦うべく体まで作りこんでいる。そして面白い。不快にもならない。すごい。すごいとしかいいようがない。それだけ思慮深く、そして行動できる人が、わざわざ一企業の商品でしかないゲームを人生をかけてやりこんでいる。その狂気。
いつかどこかでお会いできたら、色んなことを聞いてみたいなあ。そういえばデッキ代のジュースも、まだ奢ってもらってませんね。
それじゃあまた。
勇者杯とEVOとRAGEと
ちょもすです。
喋りたいことがいくつかあるんですけど、別記事にわけるほど僕は器用な男ではないので、一つの記事で全部書きます。欲張りセット。
勇者杯・夏
おつかれさまでした。
解説はやればやるほど難しいとつくづく痛感します。そもそももっとゲームを上手くならないといけないとか、内容はもっと簡単な話なほうがいいんじゃないかとか、視線の固定とか、見てる人の盛り上げ方とか、これは謙遜とかじゃなくてほんとうに課題しかないんですけど、そんな未熟な状態でも最後までお付き合い頂いた方々と、それを支えて頂いたスタッフの方々に感謝しております。実況解説オタクのnirikuさんが渋谷の道端とかでよく寝てるので、10円くらい渡して色々教えてもらおうと思います。ありがとうございました。
イベント自体も前回より人多かった気がするし、後ろの方も何やらすごい盛りってたし、秋は更なる進化を遂げてそうで楽しみですね。4弾、走りこみます。どっかで新カードについても書きたい。エンタメとして。でも書けるとは言ってない。
EVO2018
ときどさん惜しかった。ゆかどんさんはゆかどんさんだった。GGはこっそりナゲさんを応援してたらJだった。
数年前まで配信台のラグが~とかトラブルが~みたいなのをTwitterで一生見てた気がするんですけど、最近そういうのも全然見なくなった(あるいはそれが呟かれなくなっただけかもしれないけれど)ので、見えないところでイベントとしてどんどん成長してるんだろうなってことをふと思いました。とんでもないイベントだと思うし、いつかは実際に観に行きたい。応援したい。
格闘ゲームだけじゃなくて、他のジャンルもこういう企業の垣根を越えたイベントが成立したらいいのになあって思うけど、EVOがウルトラスペシャルケースなだけで、きっと難しいんだろう。でも、あったらいいよなあ……。特にカードゲームに詳しいEVO公式スポンサーがなあ。やってくれればなあ。
シャドバRAGE
TLが騒がしいので重い腰を挙げて配信開いてみたら打ち子軍団の頭領が出てきて、そのままの勢いで軍曹を倒して予選突破していました。
僕の眉毛からRAGEファイナリストがでたことを嬉しく思います pic.twitter.com/USJG530iYO
— chomosh (@chomosh) 2018年8月5日
これぞエンターテイメント。現場関係者はかなりヒリついてたんだろうことを考えてより笑顔になりました。僕がもし、RAGEを目指すとしたら一番のモチベーションは関係者をヒリつかせたいということに他ならなそうです。
久しぶりにテンション上がるイベントなんで決勝見にいきたいんですけど、誰か一緒に見にいきませんか。みんなで打ち子軍団の頭領を応援しましょう。
無力さ
比較的身近な人達がここ最近大舞台で活躍してる姿を見せられて、冷静に「なんで僕はこの人(こいつ)と面識あるんだろう……」みたいなことを100回くらい思いました。これ一瞬自慢のように見えるかもしれないんですが、全くもってそういうニュアンスではなく、「じゃあなんで僕は何もできないんだろう……」という無力感を感じています。うつ病かもしれない。
いやまあ、少なからずこのブログが役に立っているのは間違いないという結論に至って、こうしてブログを書いてるんですけどね。危機感。みんなどんどんすごくなってしまいます。にも関わらず僕がどうしたら追いつけるのかはよくわかりません。寝たら明日の僕が考えるだろうということで、今日のところは寝ることにするんですけど。
それじゃあまた。
勇者杯・夏
ちょもすです。
明日は勇者杯夏です。時が流れるのはほんとうに早くて、ついこの前TAKEcakeさんが勇者になった気がするんですが、気づけば明日には新勇者の誕生です。時間の流れが速く感じるのはじじい化の兆候なんだろうなあ。
個人的な見どころとしては、なんでも出てくるカオスな良環境かつ、3デッキBO3というかなり特殊なルールでの“差し合い”です。公開されたデッキを眺めるだけでもいろいろなドラマを感じることができます。きっと何かが起こる。綺麗なしびおじも見れる。こうご期待。
解説のはなし
ここ二回勇者杯の解説をやらせて頂いて考えているのは、「解説のちょもす」であるべきか、「ちょもすの解説」であるべきか、という話です。お前は何を言ってるんだって感じですけど、こんなわけのわからんことを真面目に考えてます。ざっくり言うと解説であることが主なのか、僕であることが主なのか、ということなんですけど。
予選決勝含めた今までの3回はヘタクソなりに解説のほうに寄せてたつもりなんですけど、冷静に考えると僕の実力はたかがしれてる(頑張ってはいるけど)し、発音とかやり方に対する意識みたいなものも徐々に上がっているつもりとはいえまだまだ低いわけで。
解説としてのレベルを上げていくのは前提条件なので試行錯誤はしているわけですけど、ただ解説としてのレベルを上げていくだけでいいのか、なんてことは思うんですよね。別にesportsキャスターとかそういうのを目指してるわけではないし。ゲーム好きのおっさんとしてのレベルを、意識して上げたほうがいいんじゃないかと。
考えたところでよくわからないので色々やってみるしかないんですが、その辺りの機微も含めまして明日はよろしくお願い致します。ベルサール秋葉原2Fです。めちゃ暑いので無理に来いとは言いません。配信見ましょう。
それじゃあまた。
うつ病九段を読んだ
ちょもすです。
読んだ。かなりシビれる内容だった。このブログの想定読者の5割くらいには刺さると思うのでおすすめしたい。
私は六歳で将棋を覚え、九歳でこの世界に入った。十七歳でプロになって三十年。だらしなくて常識がない私は、自分は将棋が強いんだという自信だけで世の中を生きてきたのである。勝ち負けとか金とか以前に、将棋が強いという自信は自分の人生のすべてだった。その将棋が弱くなる。
考えられなかった。それだけは絶対に許せなかった。
48歳プロ棋士、あまりにもかっこいい。うつ病九段という情けないタイトルからの、このかっこよさ。
うつ病を患った話なので基本的には情けなかったり格好悪い話が続くんだけれど、たまに出てくる取り繕わない棋士の一面が現れたときに、異常なかっこよさを感じて、先崎九段のことが好きになる。
思うに僕の中で「かっこいい」と「プロ」は結びついてる。もし何らかのプロになりたいと自分が思うなら、かっこよくあるべし、と思う。今のところ僕が何のプロなのかと言われるとよくわからないけど。無職のプロ?
私がはじめに手にとったのは九手詰から十三手詰の詰将棋が百問入った問題集だった。どんなレベルかというと、以前の私なら三十分で全問解く本である。ところが。
全然詰まなかった。はじめの一問がまず解けないのだ。十分も考えると頭が痛くなってしまう。私は私自身が信じられなかった。
そして心の中でどこか「甘え」なんじゃないかと思ってしまううつ病について、将棋のパラメータという形で状態を表されるとすごく納得がいく。先崎九段が七手詰めを解けない。そりゃあ病気だとしかいいようがない。格ゲーで言ったらウメハラがVトリコンできないとかそういう話である。そりゃあ病気だとしかいいようがない。
プロ棋士のかっこよさ。うつ病の重大さ。どちらも切実に自分に迫ってきて、大変読み応えのある本でした。
それじゃあまた。