chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

ありがとう『ドラゴンクエストライバルズ』

ちょもすです。

 

 

3年と9か月。長かったような短かったような。色んなことがありました。

 

振り返って考えてみると、僕にとってのドラゴンクエストライバルズというのは出会いのゲームでした。ドラクエ勢に出会い、カードゲーム勢に出会い、憧れの有名人に出会い、匿名で煽りちらかすクソ野郎に出会い。ありがたいことに、普通に生きていたらまず交わらないであろう、多くの人達との出会いをもたらしたゲームでした。

 

それは僕を見出してくれたスタッフの方々や、時たましょうもない解説をかましながらもなんだかんだ僕を応援してくれた視聴者の皆様のおかげであり、最大限の感謝をこの場を借りてお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

 

勇者杯の時にも言ったことですが、ライバルズが遊べなくなっても、遊んだ事実は残ります。「正体をあらわす」に始まる魅力的なカードテキストのことはこの先きっと忘れないし、とんでもない量のフレーバーが用意されていた作りこみも忘れないし、プレイヤーの1%も見れないであろうレアな掛け合い台詞がたくさんあったことも忘れることはないでしょう。一部のクソ調整、クソ設定のソロモードに目を瞑れば、これほどまでに製作者の愛がこめられたゲームもなかったと思いますし、その事実は忘れずに生きていきたいと、今は強く思っています。

 

ライバルズに教えられたことは、見る楽しさの重要性です。初期のころから、このゲームはきちんとプレイするには難解なゲームでした。特定の状況においてどのカードを選択するか、というのがカードゲームの難しいところであり面白いところですが、ライバルズはそこから更に「どこに置くか」を要求するゲームです。何の能力もないモーモンですら、いつ出すか、そして他のモンスターや冒険者との兼ね合いを考えてどこに置くのが最適なのか考えるのは、楽しいことであり、ハードルの高い行為でもありました。

 

そのハードルの高さから、実際に自身がプレイしてどうこうよりも、人のプレイを見ることに重きを置いた人達もたくさんいたと思います。そしてそのことが、やる側と見る側という、妙な連帯感を生んだ稀有なゲームでした。将棋を指さないけど観戦は好きな人のことを「見る将」などど言ったりしますが、「見るライ」をこのゲームはたくさん産み出していたと思います。

 

事実他人のプレイを見る分には飽きづらいゲームで、3Dモデルのあるモンスターや冒険者や魔王達が、わちゃわちゃと戦っているのを見ているだけで楽しいゲームでした。ダークドレアムが武器をぶるんぶるんと振り回しながら全てを破壊する様、あまり意識はしないかもしれませんが、視覚的に楽しいものだったと僕は思います。見た目がわかりづらくなりがちなカードゲームというジャンルで、いちいちコストのかかる3Dモデルを用意し、実際に出会うかどうかもわからない掛け合いを山のように用意し、レジェンドが出ればBGMが変わる。ゲームテンポをいくらか犠牲にしてまでも「魅せる」ことにこだわっていたゲームがスマートフォン一つで遊べる状態にあったことを、僕がこの先忘れることはないでしょう。

 

色々な経験もさせてもらいました。あれだけ多くの人の前で自分が喋る機会をもらえるのは人生の中でもそう多くないでしょうし、自分にメイクが施されるという事実も、昔のゲームだけで息をしていた自分から考えれば驚くべきことです。しまいにはメイクの人と雑談してる自分がいました。信じられませんね。

 

スクエニの社内に入れてもらえたこと、映画館で喋ったこと、TGSの謎の企画で喋ったこと、大好きだったうんこちゃんに出会えたこと、ふざけたおもちゃの中から大当たりを引いて、グランプリ覇者になれたこと。とてもここでは書ききれないほどの経験がこのゲームを通じてあり、その一つ一つが今の自分を形成しています。稼働中はただただ遊んでいたつもりでしたが、気づけば僕という一個を育ててくれたゲームでもありました。

 

これだけ自分にとって偉大なゲームがサービス終了したことから、学ぶべきことも多くあります。その中でもここで書きたい一つは、僕は好きなことを好きだと、もっともっと言わなければならないということです。クソカードを作った奴の住所を特定するのも大事なことですが、同時に好きなこともちゃんと好きだと、良いものは良いと発信しないことには、熱狂はありえません。誰かがやってくれる、誰かが言ってくれると僕は他人に期待しがちですが、自分が愛する物を見つけたら、他人ではなく自分が、主体的に動くことが重要だという当たり前のことを、改めて実感しました。それは今までの僕に足りなかった部分だと思います。それはSNSでいいねボタンを押すだけでも良いし、配信を見に行って「草」というだけでも良いのだと思います。やる気があれば友人との会話中に5秒に1回ヘルバトラーの真似をしてサブリミナル効果を狙うのもいいかもしれません。

 

どれだけ些細なことでも構わないから、もっと主体的に行動すべきだった、というのは今考えていることです。ネガティブな感情に埋もれがちな小さな好きの感情を、意識的にもっと大事にしなければなりません。僕一人が何かをしたところで何も変わらなかったかもしれませんが、もしも色んな人が似たところに向かって行動したのだとすれば、そこには大きなうねりが産まれます。サービス終了の要因を「運営のせい」だと切って捨てるのは簡単です。事実そうなのかもしれません。しかしそれでは何も産まれず、「運だけ」だと切り捨てるカードゲーマーそのものです。僕はもらったこのたくさんの経験と洞察を、次に生かす責任があるのだと思います。

 

最後に堅苦しい話になってしまいました。結局何が言いたいのかと言えば「ありがとう」ということです。それに尽きます。感謝しかありません。最大限の感謝と共に、僕は次の戦いに赴きたいと思います。

 

 

 

それじゃあまた。