そこに人がいること
ちょもすです。
遊びにいきました。「お前最近どんなゲームの大会でもオフイベントでも行ってんな癒着イナゴ金粉眉毛乙」と思うじゃないですか。今回の記事はそう思ったあなたに向けた記事です。
あっ、でも対戦内容もびっくりするほど面白いんで、時間ある人は見てみるといいと思います。いやびっくりするよ。サヴァスロこんなに面白かったのかよってなる。マジかよ、みたいな。会場の盛り上がりもすごい。
CyberZにどうしても540円払いたくない人はコメント欄に「僕はどうしてもCyberZに540円払いたくありません」と書いておいてください。僕は無視しますけど、誰かが何かをなんとかするかもしれません。発信は力。
※1:21追記
払わなくても観れるらしい!
オフイベントは楽しい
そんな癒着イナゴ金粉眉毛から言いたいこととしてはですね。やっぱりオフイベントっておもしれえなってことなんですよね。というか、同じゲームをやっている人間がそこにいる空間って、すごく面白いんですよ。配信台で衝波がザパーって流れてるのをみんなで見てるだけでむちゃくちゃ笑えるし、それが激戦の末決着したりしたらそりゃもう面白いわけじゃないですか。
最近色々なところに積極的に顔を出す(あるいは出させて頂く)ことで思うんですけど、同じゲームをやってる人間がいっぱい同じ場所に集まってるのって、奇跡なんですよね。奇跡。普段絶対に会わないような人がゲームを通じてその場所に集まってて、死ぬまでこのゲームの話をできるような奴は僕の目の前に現れないんだろうなと思ってたこのゲームの話題をできるやつが、そこにはいっぱいいる。
ありがたいことに年の功で話しかけてもらえてコミュ障の僕でも楽しめる的な側面も否定しないので、みんながみんな受身で行って楽しめるかって言ったらそうではないと思います。それでもそこに人がいるのって大切なことだし、すごいことなんですよ。人がいなきゃ話しかけてもらえるたり話しかけられるチャンスすら0%ですからね。それを最近しみじみ感じています。
そこに人がいること
結局僕が昔CoJに足しげく通っていたのって、渋谷のハイテクに行ったらそこに誰かかしらオタクがいたからなので、なんかスマホゲーでも「そこに行けば同じゲームをやる人がいる場所」を創世できたらすごくいいと思うんですよね。
対戦スマホゲーって今そこが弱いことが多いんじゃないかなあと思います。それはゲームセンターでもいいしゲームバーでもいいし、なんなら自宅のPCでDiscordでもSkypeでもLINE通話でもいいんですけど、とりあえず行けばそこにゲームの話をできる誰かがいる環境ってのは、もっと意図的に作られる風潮ができたら世の中のゲーム体験は向上していくんじゃないかなと思いました。
それを実現するのは三ヶ月とか一ヶ月に一回の大会とかギルド機能とかじゃなくて、「でかいチーム戦の大会」とか「でかいギルド対抗戦」だと思います。行っちゃえば古戦場ですよ。プレイヤーに言い訳を作ってやる。
ゲームセンターの場合は「そこでしか出来ない」って強烈な理由づけがあったから勝手にそこに集まる必然性がありましたけど、スマホゲームはその必然性がないので、人が集まるには集まる必然性を作る必要がある。
例えば賞金100億のチーム戦とかギルド戦とかやったらもういやでも集まらないといけないじゃないですか。例えは極端ですけど、対戦ゲームはもっと無理矢理「近くにいるプレイヤーを一つの場所に集める」動きがあったら、ゲームに人間がもっと絡んできて、もっと面白くなるんじゃないかなあ、なんてことを考えました。
でもサヴァスロはクソ
配信中、僕の名前が「もす」になってると思うんですけど、あれは別に僕がそうしたくてそうしてるわけじゃなくて、
リリースからずーっとこれですからね。なぜか「ちょも」の組み合わせがだめっぽくて、なんの差別用語なのか調べてみたんですけど全然ヒットしなくて、僕が出した結論は「こいつは危険人物だからゲームをしてほしくない」って開発が考えてるであろうってところですからね。サヴァスロ許せないでしょ。このゲーム以外でひらがなの僕の名前がひっかかった試しがないですからね。マジでクソ。そういうとこだぞ。すぐ闘技場閉店するし。サヴァスロはクソ。
……RAGEに向けて走りこんでいきます。対戦相手無限に募集してるので、サヴァスロ集落の人々は気軽にTwitterとかでルームマッチ仕掛けてください。夜中とかがいいです。寝てたらごめんなさい。よろしくお願い致します。
それじゃあまた。
地獄の4/26
ちょもすです。
オタク映画(微妙にネタバレかも)
昨日はオタクの中でちょっとした話題の映画である『レディ・プレイヤー1』を観てきました。オタクの人らが盛り上がってるからオタクの心にぐっとくる何かがあるんだろうと思って観に行ったところ、確かにオタクの心にぐっとくるものはあるんだけど、根っこのテーマのひとつが「オタクは外に出ろ」的なあれで、「いつの時代のネットゲームの話してんだよ」みたいに思いながら観てました。深くは書きませんけど、ネットとリアルってそんなに境界のあるものじゃもうなくなってるよね、という。
映像的な見た目とか、今昔のゲームを知ってないとわからないネタとか、何かと観てて楽しい映画だと思うし、良い映画だとは思います。暇なら観に行って感想をぜひ。トレーサーがかわいい。
地獄の4/26
2018/4/26、とんでもなく僕が遊んでるゲームのアップデートが重なってて。DQRはちいさなメダルとリプレイが導入されててそもそも月末で風吹かせないといけないし、ウォーブレは突然の新弾発表からのリリースで頭ウィットフォードだし、クロノマギアは調整が入ってランクマッチが動き出しそうでハジノマギアだし、サヴァスロもパラメータ調整入ってて2Bの民がRAGEしてるし、なんならトリプルモンスターズもリリースしてるけどスルーせざるを得ないし、もうなんなの。被さりすぎでしょ。サイゲの陰謀か?
嬉しい地獄。一つ一つ楽しんでいきましょう。
それじゃあまた。
勇者杯のはなし
ちょもすです。
4/22(日)に行われた「勇者杯2018春 オフライン予選」の様子がYouTube&OPENRECでアーカイブ視聴可能になりました!熱戦の様子をぜひご覧ください!
— ドラゴンクエストライバルズ公式 (@DQ_RIVALS) 2018年4月24日
YouTubeはこちら→https://t.co/TFobdpLhdl
OPENRECはこちら→https://t.co/p32RkAyOzd#DQライバルズ #勇者杯
本当は昨日かおとといくらいに書きたかったんですけど、僕がセミの抜け殻みたいになってたのでだめでした。すみません。でも書きます。
いい大会だった
端的に僕が何を言いたいかといえば、この大会がすごいいいものだったというか、楽しかったんですよ。すごくよかった。
そりゃ、残念なところを挙げようと思えばいくらでも挙がるんですよ。オン予選⇒オフ予選の流れで東京一発だから地方勢の人の参加率が低かったであろうこと、その結果人の集まりがよくなかったであろうこと、進行の見積もりが甘くて終電が怪しかったこと、途中から出てきた奴の解説がキョロキョロしすぎる、色々あるにはあるんですけど、それを差し引いてなお、いい大会でした。
一番大きいと思ったのは、ドラゴンクエストライバルズ(以下DQR)がすごく観るのに適したゲームだということ。これ言っていいのかわからないですけど、DQRというコンテンツの向き合い方として、遊ぶよりも観る方が楽しい人って結構いるんじゃないかと思うくらい、観るのが楽しいんですよ。だからもし今もうやらなくなってしまった人がいるとしても、大会だけは観るのをすごくおすすめしたい。
ケアしなきゃいけないカードが多いから上手い人のすごいプレイが出る。配置に選択肢が多いから「あーなるほど!」というプレイが出る。3Dのキャラクターが動くから飽きづらい。
そのうえで、ロウとかベロニカのランダム要素がドラマを産む。DIGGと勇者杯、僕が見てきたオフ大会の一発勝負の場で、どちらもロウからロウが出てるんですよ。おかしいでしょ。なんかあるとしか思えないですよね。オカルトを信じるタイプじゃないですけど、大会には魔物がいるとしか思えない。
相手のベロニカがランクマッチでメラゾーマを2枚とか持ってくると「クソが!!!」ってなりますけど、大会とか一発勝負の場で観戦する分には本当に面白くて。いや、やってるほうはどうかわからないですけど、じんめんがえるが出てがっかりするそれすらも、観てるほうからすれば面白いわけじゃないですか。
こうして書くとランダム要素だけのクソゲーなんじゃないかと思ってしまいますけど、今回惜しくも敗れてしまったた人の話を聞くと、みんな口を揃えて「自分が下手でした」と言う。実はこのゲーム、すごいことをやってるんじゃないかとこの日に何回も思いました。
▲この試合は特にすごい。あらゆる意味で
初めての全国大会でやる側としてはわからなかったこともたくさんあると思うんですけど、スイスドローの進行は適切だったし、配信の見せ方も素晴らしかった。パンも食い放題(?)だったし、年齢層が少し高めかつ勝ち抜いた人を集めてるからか、会場の雰囲気も落ち着いてた。和やかだった。
次こそは自分が出たいと思える大会でした。その前にまずは決勝か。そっちも楽しみですね。さすがに配信あるでしょうし、暇な方はみてみることを強くおすすめします。
わざわざこんなこと書いて「また癒着か。そろそろ眉毛に金粉が乗るのか?」とか思うと思うんですけど、普段から悪い物を悪いと言っている分、良いものはちゃんと良いと言っていきたいと思っております。
それじゃあまた。
作り直し
ちょもすです。
皆様、COJポケットは先ほど4/17(火)14時をもってサービスを終了いたしました。#COJポケット を1回でも遊んで頂いた方、
— コード・オブ・ジョーカーPocket公式 (@cojpocket_sega) April 17, 2018
本日最後まで遊んで頂いた方、皆さまにお礼をお伝えさせて頂ければと思います。
誠に、ありがとうございました!
COJポケット 開発メンバー一同
CoJP、終わってしまいました。自分自身が途中からやらなくなってしまったので、悲しい気持ちを表現する資格は僕にはないかもしれませんが、それでもやっぱり寂しさはあります。
昨日15時間近くぶっ通しで遊んでJOKERランクまで上げて再確認しましたけど、やっぱり面白いんですよね。やることがたくさんある。できることがたくさんある。覚えることがたくさんある。スキルキャップの高いゲームは皆のスキルが低いうちから遊んでないと新規参入しづらいですけど、そこから遊んでるならデメリットないですからね。そういう意味でアーケード版を稼動初期から遊んでた僕は幸運だったんだと思います。
難しすぎるとか無課金にやさしくなかったとかは、僕にはよくわかんないけど、少なくとも僕がやらなくなってしまったのは「新弾が新弾ではなかった」というところだったっぽい。噛んだ後のガム
— chomosh (@chomosh) April 17, 2018
僕にとっての一番のネックは「新弾が新弾で無かった」ことでした。カード能力に若干の調整がかかってはいたものの、結局はアーケード版で見知ったカード達を使うことになるので、新しい発見は限られています。それに対してカード課金したり時間を費やしたりする、その行為が結構きつかったのかもしれません。
中期~後期にかけてはカードの能力をがっつり変えたり全くの新カードが出たりしていたみたいなんですが、それでもやっぱり半分くらいは既存のカードだったりそれをオマージュした能力だったりするので、「完全に未知の新カード達」よりも魅力は落ちてしまうというか。僕がカードゲームの新弾を買うのって、未開の地を探索したいからなんですよね。その魅力が半減しているのは、僕にとって思っていた以上に大きな枷なんだと、ある意味このゲームに気づかされました。
作り直し
これはCoJPに限った話じゃないんですけど、今の世の中ルールなりイラストなりを流用してゲーム作ること多いじゃないですか。
作る側からすると予算を抑えられるし、ある程度の見通しも立てやすいから「数撃ちゃあたるでしょ」的なのが通りやすいかもしれないんですけど、遊ぶ側はやっぱりそれで魅力が半減することも多々あるんじゃないかと思っていて。とくにそのゲームの大方を解き明かすと満足しがちな僕みたいな人間は、今までの知識を流用するだけで結構勝ててしまう。何をしていけば勝ちに近づいていくのかがなんとなくわかってしまう。それって嬉しいことではあるんですけど、じゃあそこに時間を費やすかというと難しいじゃないですか。“その手のゲーム”をそのタイトルではじめて触れる人にとってはそうではないので、意義はちゃんとあるし、僕がただ単に歳を取りすぎたみたいな話なのかもしれないんですけど。
だからこそ、新しい要素を持ったゲームって素晴らしいんだと思います。その勇気みたいなものに、もっと感謝しなくちゃいけないのかもしれません。
それじゃあまた。
何もしない時間
ちょもすです。
最近何もしない時間というか、意識的に何もしない時間みたいなのって結構大事なんじゃないかと思って、隙あらば遠回りしてみたり、隙あらば謎の駅で降りてみたりしてます。
というのも、僕は今スマホゲーが遊びであり仕事みたいになっていて、そのスマホゲーって本当にいつでもどこでもできるじゃないですか。電車の中だろうが布団の中だろうが無限にできちゃう。見方を変えれば無限に仕事熱心になれるし、それを放棄すると無限にサボってるみたいな感覚になってきて。
この「今僕は無限にサボっている。怠惰である」みたいな感覚にとらわれるとこの世の終わりというか、単純にゲームを遊ぶにも義務感がすごくて面白くなくなってくるんですよ。だから、サボりではなく「僕は今意識的に何もしていない。これは休養である」みたいに思える時間を作ったらいいんじゃないかと思ったわけです。
単純にプレイから距離を置いて考える時間がゲーム攻略に役立つって側面もあるんですけどね。経験を成果に変えるには一歩引いた視線が必要になるときがあって、そういう天啓めいたものって経験上帰り道とか電車の中で閃くんですよ。不思議なことに。
学生の頃は「なんでもっとゲームできねえんだ」という気持ちのみで過ごしてましたけど、いざ無制限にゲームができるようになると「わざとゲームやらない時間を作らないとだめだ」みたいな結論になるの、中々面白いなあというのが今日の発見でした。
日記更新。
それじゃあまた。
ステマ
ちょもすです。
ステマ
パンチされました。
いやね、突っ込みどころは確かに多いんですよ。まず本気でそう思うならフォロワー0でデフォアイコンの捨てアカウントで突撃してくるのやめてほしいし、「ブログは『特定の誰かにお金をもらって記事を書くことはありません』って書いてるけど間接的にもらってるじゃないか!」って突っ込みはそれ「ブログは特定の誰かにお金をもらって記事書いてない」そのものでしょ……って思うし、そのお金の流れも憶測の極みだし、“悪質な”ステマってなんだよって思うし。逆に良質なステマってなんだよ。ステマです!って宣言するやつか。それステルスじゃねえしなあ。
でも、言いたい事はなんかわかるんですよ。こいつゲームで金もらってるじゃねーかステマ野郎許せねー叩いたろみたいな。全然論理的ではないし僕にとっては迷惑極まりないんですけど、気持ちはすごくわかる。実際僕もそのへんは自分自身でもよくわかってない部分があって。
というのも、何処からがステマで何処からがステマじゃないのかって、極めて曖昧なものだと思うんですよね。
例えば僕はCoJの生放送とか出た時に出演料をもらいましたけど、今ここでセガの新作ゲームを面白いって言ったらステルスマーケティングになるのか。
このブログにガンホーのゲームのクリック型広告を張って収入が発生したとして、その後にクロノマギアが面白いって言ったらステルスマーケティングになるのか。
生放送に呼ばれたりするゲームで特にブログを書けと依頼されたわけじゃないけど、純粋に面白いと思ったものを面白いと書いたらステルスマーケティングになるのか。
「このゲームのありのままをブログに書いてほしい」と頼まれてお金をもらって記事を書いてその評価が「面白い」だったとき、それはステルスマーケティングになるのか。仮にクソつまらなくて滅茶苦茶に叩いたとして、それもステルスマーケティングになるのか。
僕の基準で行くと4番目の例だけタイトルに【癒着】をつけるんですけど、別にどのラインが正解とかじゃなくて、人によって感じ方が違うと思うんですよね。全部アリでしょって人もいると思うし、全部ナシでしょって人もいると思う。であるなら、そんなものを僕にどうこうしろって言われても無理な話なんですよね。
だから断っておくとすれば、【癒着】をつけるとしても、あくまで僕の基準でつけている、ということです。そこにがっかりしてしまった人は「こいつは癒着野郎だから信用できねえ」と思ってくれてもいいです。もうそこは信じてもらうか、僕の全て疑ってかかってもらうしかないのかなと思います。
という内容をざっくり140文字で返信したら、
レバンガ☆SAPPORO許せねえ。まさかレバンガ拳がこんな形で僕に飛んでくると思わないでしょ。理不尽さの塊。
経験上こういうヤカラ的な絡み方をしてくる人って、冷静に対応すると意外といい人だったりしてみんな毒されてるんだなあと思います。インターネットは猛毒。でもその毒を罪の無い僕に投げてくるのはやめてください。僕はFree to Playではないです。何卒よろしくお願い致します。
それじゃあまた。
クロノマギア最大の罪
ちょもすです。
ここに書くのは1億回目ですが、chomoshのブログは特定の誰かにお金をもらって記事を書くことはありません。仮にあるとしても、その際にはタイトルに【癒着】と書きます。chomoshのブログルールです。よろしくお願いします。
クロノマギアに感じるギャップ
今ですね。近所の餃子店でランチセットを食っている時に閃いたんですよ。ラー油マシマシの餃子食ってる時に。
僕が面白いと思って遊んでいるゲームなのにも関わらず、『クロノマギア』が極めて酷評を受けています。もうSNSも匿名掲示板もすごいありさまで、僕はゲーム内容の話が見たいのにそんな話は全然されていなくて、やれ何がクソで何がクソだからここがダメだみたいな話が無限になされていて。
それが僕の中ですごいギャップがあるんですよ。
リリース当初のゲームはどんなものであれ叩かれる運命にあるとはいえ、「こんなに言われるほどか???」「こいつらは本当にこのゲームを遊んだのか???」と無限にクエッションマークが出るんですよ。いや面白くないですか?っていう。
なんでこんなに回りの騒ぎ方と僕の感じ方にギャップが出るんだろう、って考えてたんですけど、一つの結論として、【『クロノマギア』はDCGではないからである】というところに行きつきました。
極めてSLG的なゲーム
恐らくほとんどの人が基本ルールを噛み砕く前に一面的な部分を見て文句を口にしていると思うんですが、このゲームは極めてDCG的ではありません。僕の感覚からすると、このゲームはSLGです。対戦型ターン制シミュレーションゲーム。
Civilizationをイメージしてほしいんですよ。内政して、拡張して、リソース管理に頭を悩ませながら軍事も整える。
『クロノマギア』、まさにこの感覚なんです。リソースを管理するゲーム。毎ターン限られた量しか生み出されないMPという限られたリソースを管理して、リソースが溢れないようにしながら軍隊にあたるクリーチャーを出し、相手の出方を探りながら優位を築いていく。
国家間やユニット間には相性があって、騎兵は槍兵に弱いし、槍兵は弓兵に弱い。『クロノマギア』も同様です。シールドは固定ダメージに弱いし、固定ダメージは高HPに弱い。
もうそれそのものなんですね。で、僕はCivilization好きなんですよ。カードゲームも好きですけど、シミュレーションゲームも好きだし、もっと言えばRTSみたいなジャンルも好きです。なんでも楽しめてしまえます。
とすればですよ。僕が面白いと感じるのに他の人らがこんなのはありえないとなってしまっているのは、カードゲームをやりたかったのにシミュレーションゲームをやらされるからなんじゃないかと思ったんです。
『クロノマギア』最大の罪
僕が思う『クロノマギア』最大の罪は、このゲームを「本格対戦型カードゲーム」として売り出してしまったことです。確かにそうなんです。このゲームを対戦型カードゲームと見てしまうと、あまりにお粗末な出来に見えてしまいます。
例えば、カード能力のシンプルさ。第一弾とは言えど、カードそれぞれが持つ能力はあまりに簡素で、とても刺激的とは言えないものです。パックを剥いてスーパーレアかと思えば、バニラクリーチャーが出てきます。「なんだこのゲーム……」となるかもしれません。レジェンドレアの能力も他のTCGと比べてしまうとあまりにもありふれたものです。「これがレジェンドなの……?」と思ってしまうかもしれません。
でも僕が思うに『クロノマギア』のカード要素って、Civilizationの文化ツリーとか科学ツリーの立ち位置なんですよ。そこも大事なんだけど、そこが一番メインの遊びじゃない。主となる遊びの部分はマギアスキルなんですよ。
マギアスキルは他ゲーで言うところのヒーローパワーとかテンションスキル的なものなので、おまけ的要素として見られがちです。しかしこのゲームのマギアスキルは国家を破壊できるほど強力です。核ミサイルです。
カードだと厳しい条件付で3コストで2枚ドロー(SR)するところを、マギアスキルであれば“カードの消費なし”に1コストで2枚ドローします。言ってる意味が全然わからないと思うんですが、事実そうなんです。カードの能力よりも、マギアスキルの能力のほうが3倍くらい強く設定されています。
だからこそこの『クロノマギア』は、マギアスキルを駆使する、能力者達が戦うゲームなんです。カード達が戦うのが主ではなくて、能力者達が戦うのが主なんです。カードゲームではあるんですが、カードが主役ではない、能力者が主役の、極めて戦略シミュレーション的なゲームなんです。
68kでこんな感じ。リヴァイアサンに嫌われてる pic.twitter.com/mRuYcbSi7G
— chomosh (@chomosh) 2018年4月11日
ダイアウルフリーダー使うのに天しないといけないの狂気じみている
— chomosh (@chomosh) 2018年4月11日
※天=天井のこと。このゲームに天井システムはないものの、一部で“9万円課金すること”を天と表現する
カードゲームとして見てしまうと、「自分の組みたいデッキを組んでからスタート」としてしまいがちなのでこの課金の圧力の前に屈することでしょう。大したことない能力のレジェンドを確実に手にいれるのに6万も7万も必要でうんざりしてしまうかもしれません。でもきっとそうではなくて。『クロノマギア』におけるカードは、文化ツリーなんですよ。
Civilizationの文化ツリーに課金要素があったらめっちゃクソだなみたいな話は強引に置いておきましょう。それはもうスマホゲーの宿命みたいなもんです。
言っておきたいのは、他のカードゲームほどカード資産に影響されないゲームであるということです。それよりもリソースの管理とマギアスキルです。デッキはマークと種族がなんとなくマギアスキルと合っていればなんとかなります。とりあえず適当でいいんです。このゲームは「クロノマギア 最強 デッキ ランキング」で検索しなくていいんです。どうせみんな組めません。きっとそういう遊び方をするゲームじゃないんですよ。
いい意味でも悪い意味でも、DCGや対戦ゲームのセオリーが通用しない新しいゲームであったことが、現状の評価に繋がっていると思います。このブログをここまで読んでくれるような聡明な方々はひとまず「『クロノマギア』はDCGである」という概念を捨てて、『クロノマギア』を遊んでみると、楽しく遊べるのではないでしょうか。
新しい対戦ゲームは楽しいですよ。やっぱり。
それじゃあまた。