chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

ゲームセンターの明日は何処だ

何を隠そう僕のニート時代と言えば、週6〜7でゲーセンに行き、三国志大戦をやっておりました。
単純にゲームが面白かったとか、家にいると母ちゃんの圧力がやばいとか、色々な要因があったとは思うんですけど、諸々含めてゲーセンにほぼ毎日のように行っていたわけです。

一部の方々に「新宿歌舞伎町GAOはちょもすの家」みたいな言い方をされる程度に、
またそれを否定できない程度には通っていました。



それが今やどうしたことか、自発的には全く行かなくなってしまったのです。週0です。
知り合いの付き添いでゲーセンに行っても、やるゲームがない。前まで週7で通ってた奴がです。

単純にゲーセンのゲームに飽きてしまったというのもあるとは思うんですが、でも、それだけはないような気がします。

おそらく、僕がゲームセンターに求めていたのは、
ゲームセンターでしかできない大型ゲームだけではなくて、ゲームセンターを利用したコミュニティの形成、または維持だったんではないかと思うんです。



僕がゲームをやっていて楽しいと感じる根幹には、「人との繋がり」が欠かせないものでした。
小学生の頃は、クラスの友達に攻略法を自慢するために。または、対戦ゲームで圧倒するために。(スマブラが強すぎて若干いじめられた)
中学生の頃は、ネットゲームの未知なる繋がりを同級生と共有するために。
高校生以降は、三国志大戦を上達するために。また、上達した自分を自慢するために。そのコミュニティを形成するために。

これは対戦ゲームに限りません。
子供の頃のRPGがなんで楽しかったのかと今思い返せば、「同級生との情報の共有」が楽しかったからでした。
結局のところ、僕のゲームの楽しみ方の根幹には、必ず「人との繋がり」があったのです。

それを求めて三国志大戦のオフ会にもたくさん顔を出しました。
女性プレイヤーとサシで会ったこともありました。なんか思っていたイメージと違ってて、すごい微妙な空気になって逃げ出しました。
これ今あんまり思い出したくないですね。息が苦しくなってきました。やめましょう。

しかし、まあ、そういう失敗も含めて、その行動はきっと、僕の三国志大戦の楽しさの根幹を成すために必要な行動であると、本能的に認識していたのだと思います。



そして今僕は、そのコミュニティを作ることができました。
そして主にTwitterを通して、そのコミュニティを維持するようになりました。

そうしていつやら、僕にとって居心地の良いコミュニティが出来てしまえば、三国志大戦というゲームが必要なくなったんではないかな、と。

あくまで僕が必要としていたのは、

ゲームではなく、ゲームを起点にしたコミュニティの形成

だったんではないかと。

で、それが成功してしまったがため、またTwitterがあればそれを維持できるがために、ゲームセンターに行かなくなってしまった、ということです。



そういう所から察するに、今後のゲームセンターには、「コミュニティ形成、維持」に特化したサービスが求められるんじゃないでしょうか?
知らない人だけど同じゲーセンの人とダンジョンに行くと、なんか得をする、とか。

そういう感じに今後なっていくんじゃないかなー、とか思いながら、今日のお話はおしまいです。