ハードルの高いコミュニティに所属した方が幸福度高い説
ちょもすです。
ポーカーとか麻雀とかを覚えようとしてる初心者に聞いて欲しいんですけど、
— リコ@花粉リティオ (@riko_capriccio) 2021年6月16日
面識ないところから「教えるよー」って言って近づいて来る人に上手い人は1人もいません。
マジで1人もいません。
対人ゲームなのに対人関係の距離感がおかしい時点で察しましょう。
関わらない方が良いです。
言い過ぎだけどわかるーってなる奴。わかる。この手の変な人は自分の20年の観測範囲でも多い。
でも、だとして「じゃあ実際初心者はどうしたらいいの?」ってなるじゃないですか。
どうしたらいいんでしょう。
ハードルの高いコミュニティに所属した方が幸福度高い説
僕はこのことについて「ハードルが高めコミュニティに所属すると幸福度が高くなりやすいため、ちょっと頑張ってハードルを越える」と結論づけてます。要は実績を求められたり、面接を求められたり、誰かの紹介が必要だったり、そもそも見つけるのが難しいコミュニティですね。金銭的要求をされるものも含まれるかな。
ゲームごとき、趣味ごときで何言ってんだ、って言いたくなる気持ちもわかるんですが、健全なコミュニティほど「危険人物フィルター」が優れていると思っています。言い換えればコミュニティ内での常識の共有です。敬語を使うとか、人に気を遣うとか、礼を言うとか、至極当たり前のことですけれど、そういう前提がない人は驚くことに結構いるものです。
危険人物を招き入れてしまうと前提の共有から改めてやり直さねばならず、コミュニケーションの維持コストが増大します。結果、危険人物が1フレでコミュニティを破壊する、というのはよくある話です。ここで重要なのはコミュニティに存在する危険人物を対処するコストよりも、危険人物に対するフィルターをしっかりかけた方がコストは低くなる、ということです。
裏を返せば参加するハードルの高いコミュニティは、それなりに良い関係性が保たれている確率が高いのでは、と考えられます。僕もいつからか何かを始めるときに「これをやってる(昔別のゲームで遊んでた)知り合いいないかな」と考えることが多くなりました。閉じられた良質なコミュニティにアクセスできるかは人依存です。
今、自分が誰かと一緒にゲームを遊ぶシーンを思い返してみて欲しいんですが、現存するコミュニティって開かれているものよりも閉じられたもののほうが多かったりしないでしょうか。最近この「閉じる」重要性が特に高まっていると思います。それだけインターネットで世界が広がったからですね。
勉強していい大学入っていい企業に勤めれば周りもいい環境、みたいな話で夢も希望もありません。暇つぶしのゲームでそこまで求められるのは世知辛い気もしますが、でもそういうことなんだと僕は思っています。ゲームは社会。
それじゃあまた。