chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

ハンドルネームは歴史を紡ぐ

この前jubeatをやっていたら、隣の人がえらいスマホを見る人だった。曲と曲の合間の時間にとにかくスマホを弄る。かくいう僕も人のことは言えないのだが、隣で見ているととにかく目立つというか、気になった。
文字をタイプしている風だし、この頻度は多分Twitterなんだろうな、という予測を立てた時に、僕の中で一つの思案がよぎる。

jubeatのプレイヤーネームで検索したら、この人のTwitterアカウント出てくるんじゃね?」

あるいは人道的でない、あるいはやってはいけないことなのかもしれないのだが、思いついてしまった以上、調べてみたいと思った以上、そのように僕の手は動くのである。
隣で僕も似たようにスマホを弄り、{jubeat プレイヤーネーム Twitter}と検索する。案の定すぐに出た。Googleは偉大だ。

別にそれ以上の事は無くて、ただ普通にその人はjubeatの事を呟いていた。「隣の奴の顔が気持ち悪い」とか書いてあったらどうしようかとワクワクしたが、そんなことは無かった。

…このこと自体、僕が思いつく以前に思いついてやった人は結構いると思う。そこから発展した実害も出てるだろう。ゲーセンストーカーみたいな奴は必ずいる確信がある。隣の奴が今何を考えているのかわかることは、一人の人を動かすのに十分な力があったことを実感したからだ。何か、得体のしれない恐ろしさを感じた。

そういう出来ごとがあって、僕は帰りの電車で色々と考え込んでしまった。



…一昔前の僕のインターネットの感覚だと、仮にあるコミュニティでとんでもない事をしてしまって、その中で嫌われ者になってしまったとしても、新たなコミュニティを探せば良かった。新しい名前を使って、新しい活動をすればそれで良かった。失敗を活かしてやり直すことも出来た。

だが、今の僕の場合は、全ての「ちょもす」は繋がっている。歴史があるのだ。一度一つのコミュニティで失敗(例えばある女の子をストーカーしていてバレてしまったとか【※注 してない】)した場合に、その失敗は別のコミュニティでも共有されるだろう。Googleで調べればすぐわかってしまうのだ。そうなればもう、「ちょもす」は終わってしまう。

そうなった場合、更に僕はもう「ゲーム」というコミュニティにすら居座れなくなるだろう。僕の顔は、もう「ちょもす」と繋がってしまっているからだ。これも、Googleで調べればすぐわかる。画像検索も発達しているから、僕の顔とちょもすを結び付けるのはとても簡単だろう。

人生までは多分終わらない気がするが、今のように生きることはできなくなるし、ゲームが出来ないのはきっと大きなストレスになる。そういう意味では、かなり楽しくない人生を送ることになるかもしれない。それに、5年近く積み上げてきたことを全て捨ててしまうのは、きっととても辛いことだ。

「ちょもす」はもう僕のリアルなんだろうな、と思う。主にネット上で活動するために産まれたキャラクターは、いつの間にか僕そのものになってしまっていた。もう「ちょもす」を無かったことには出来ない。これから死ぬまで付き合うことような気がしている。

それなりに責任を持って向き合わなければならないなー、と。そんなことを思った。



それと、これからの時代、自分につけるハンドルネームはよく考えた方がいいと思う。間違っても「ちょもす」なんてつけてはいけない。一般の人に呼ばれても恥ずかしくない名前にしよう。会社で上司に「ねえねえちょもすってどういう意味なの??」と聞かれないような名前にしよう。

いや…本当に…。