chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

『Legends of Runeterra』のアクシャンがすごい

ちょもすです。

 

今『Legends of Runeterra』に「それなりに実用的な」無限コンボがある。

 

チャンピオン『アクシャン』の効果で結構手間のかかるお宝的カード(2ドロー、このターン中全てのカードのコスト-1)を手に入れる⇒それをコピー⇒アクシャンを出しなおして主に元のコストが2コスト以下のカードを使ってぐるぐるする⇒もう一枚お宝手に入れる⇒コスト3まで0になる⇒この手順を使えば無限ドロー無限コストなのでデッキに入っている好きな方法で勝つ

 

ざっくり言うとこんな感じ。コンボのキーカードで4枚引けるので見切りで発射しても結構成功する。見た目よりは簡単。

 

成立ターンはちゃんと回ると7とか8とかそれくらい。すごいと6とか。カードゲーム的には割とありがちなコンボデッキなので「やっちまった」って感じでもなく、騒ぐほどの奴ではないかなーという気がする。

 

とはいえ仕様がかなり悪い。1ターンあたりの制限時間や試合全体の制限時間がないシステムなので、時間切れ負けがお互いにない。つまり勝ち手段を行使しないと理論上は無限時間プレイすることができる。勝ち手段を搭載せずに「相手が降参するまで意味もなくデッキを回し続けて折れるのを待つ」といった熱湯風呂で我慢比べみたいな勝ち方も可能。別にそこまでしなくても、メインの勝ち手段が「1点ダメージを無限回飛ばす」だったりするので死ぬほど時間がかかってかなり感じが悪い。例えば1点飛ばすのには、

 

ジリアン出す(ド派手な演出)⇒先見(デッキを3枚見て上に1枚置く)⇒タイムボムを上に置く⇒手札のタイムボムプレイ⇒1点+1ドロー⇒ジリアンとバウンス札を回収

 

この手順をやるので、これ20回やるだけでもジリアンの派手な演出を20回見させられる。何かプレイするたびに対戦相手に優先権が渡るので、相手は手動だとこの手順だけでも3x20の60回か、4x20の80回ほど優先権をパスしないといけない。無論ここにいくまでの過程もかなりあるので、100回くらいは何もせずパスする必要がある。

 

まあさっさと降参すればいいんだけど、理解度がある程度ないと有限の動きなのか無限に入ってるかってのは判断が結構つけづらい。なのでよくわかんなくて勝ちを拾いたかったら一応頑張ったほうがよくて、それもまたこう……味わい深い。

 

 

ちなみに今Riot Gamesは「光の番人支援活動」中。ここでの「光の番人」とは新チャンピオンの「アクシャン」のことを指しています。

 

光の番人。

 

 

 

それじゃあまた。

クソデカタムケンチ

ちょもすです。

 

『League of Legends』内期間限定モード、『アルティメットスペルブック』の一幕。

www.youtube.com

 

これ系って技の射程あんまり長くならない気がしてたんだけど、タムケンチは何故か舌の距離がとんでもないことになってて笑った。リプレイ見たら相手も「?」ピン焚いててそらそうって感じ。バグかしら。

 

*追記

 

オタク。

 

アルティメットスペルブック面白いね。アセンションとかドミニオンとかあんまり面白くない期間限定ゲームモードも多いけど、アルティメットスペルブックはURFに続く当たりコンテンツだと思う。再現性が低いのがよくて、対面に合わせてUlt選ぶようになったり、思わぬ発見がたくさん眠ってて中々飽きない。ナイスワーク。ずっと置いててほしい。

 

 

それじゃあまた。

 

大富豪から考えるMOBAの面白さ

ちょもすです。

 

ja.wikipedia.org

 

これらきっとするであろう、『ポケモンユナイト』の話をしていくうえで、そもそもポケモンユナイトの面白さって何?MOBAの面白さってなんだっけ?僕はなんで『League of Legends』やってんだっけ?といった疑問を僕自身の中で再確認し、「MOBAって何が面白いの?」と聞かれた時に答えられるようにしようと思いました。この記事では自分がMOBAのどこに面白さを感じたのかについて書いてみようと思います。

 

MOBAと大富豪は似ている

僕の感じている面白さを言葉にするとき、何かいい例えはないかなと考えた時に思いついたのは大富豪です。あのトランプの。知らない人にとって大富豪と『League of Legends』は似ても似つかないと思いますが、僕の中でははっきりと共通点があります。それは

 

「一度有利な状態を築くとより有利になり、対戦相手を蹂躙できること」

 

です。これをMOBAの世界では「スノーボール」というワードで表現します。文字通り雪だるま式に有利が大きくなっていくわけですね。大富豪は一度大富豪になると大貧民に対して不合理なトレードを要求できます。手札のいらないカードが相手の最強カード2枚に変え、強きものがより強く戦える極めて社会的なシステムです。近代のDCGでそんな効果を持ったカードが産まれたら一揆が確実ですが、それほど残酷なことを大富豪というゲームはルールで起こします。

 

自分が大富豪になって圧倒的なリソースを持ってその他大勢を圧倒する感覚、皆さんは好きでしょうか。強すぎて周りが楽しめず気まずくなる人もいるかもしれません。でも僕は好きです。「このクソ手札でどうやったら勝てるんだよ」と呪詛の念を吐かれながら、ゲームルールに則って対戦相手を破壊するのが好きです。手札がAと2と絵札で埋め尽くされているのが好きです。5連続で大富豪を取るのが好きです。

 

少なからず共感した皆様はMOBAにハマる才能を持っていると思います。というのも、僕がMOBAで面白いと感じる瞬間もまた、「差のついたリソースで相手を圧倒しているとき」だからです。

 

MOBAというジャンルでは例に漏れず、「スノーボール」が存在します。イメージしやすいように『ポケモンユナイト』で例えると、序盤のエイパムやタブンネを対戦相手より多く倒すとどうなるでしょうか。こちらの方がレベルがたくさん上がり、レベル差がつきますね。レベル差が出来るとどうなるでしょうか。基本のステータスに差もあれば、先んじて上位のわざを使えたり、中盤なら一方的にユナイトわざが打てるかもしれません。

 

序盤のタブンネ一匹がレベルアップタイミングの差に繋がって、その差を生かして戦闘が起こせれば、有利な体力の交換ができ、タブンネの数も二匹三匹と差がつきます。状況によっては倒されてしまうかもしれません。そうなれば差は更に広がります。これが「スノーボール」です。至福の時です。この瞬間が気持ちよすぎるからこそ、僕はMOBA系のゲームをプレイするのだと思います。

 

うまく行けば「スノーボール」は更に加速します。もし自分がチームで一番レベルが高いなら、勝利のためには自分の強さをチーム全体に還元していくのが良いとされています。自分一人が敵全員よりも強い状態より、味方全員が敵全員よりも強い状態の方が状況がいいからです。

 

MOBAが強いとモテる

自分が強くなって対戦相手を蹂躙できる状態なら、その強さを生かして一緒に遊んでいるあの子やあいつを強くすることができます。技術的にうまくするとかいう話ではなく、一緒に戦ってそのキャラクターそのものを強くさせ、気分のいい体験をさせることができます。修行とかなしに。どんなにへたくそな人でも、ステータスが高ければ高いほどいいのは自明です。

 

そういえば、人間は他人に施しを与えることに価値を感じる生物らしいですね。

 

bsd.neuroinf.jp

 

リプレイを研究したりオタクのご高説を聞いてまでゲームを上手くなろうと思う人はそう多くありません。ほとんどの人は楽しく遊びたいだけです。悪い言い方をすれば気持ちよくなりたいだけです。MOBAは他人の楽しみたい思いに対して自身が介入しやすい仕組みになっており、誰かの「ヒーロー」になれる可能性があります。

 

ヒーローになれたら気持ちよさそうだと考えたことはありませんか。

 

なれるんです。MOBAなら。

 

僕が感じるMOBAの面白さとは「スノーボール」であり、その結果として他人に施しを与え、「ヒーロー」になることができる。とここではしておきたいと思います。

 

note.com

 

全く逆のことを言い出した意味不明のnoteはこちらになります。

 

それじゃあまた。

noteに記事を書きました

ちょもすです。

 

note.com

 

試験的にnoteに記事を書きました。なんと100円。金を取ります。

 

有料にした理由はいくつかあるんですが、

 

  • いきなり現れては文脈を無視して言いたい放題言って気持ちよくなって帰っていくタダ乗りマウンティング野郎に疲れた
  • インターネットが広がりすぎたことで表現の自由が損なわれている
  • お金があると老後もゲームができる

 

概ねこの三点です。

 

タダ乗りマウンティング野郎に疲れた

引用リツイートやはてなブックマークなど、本人に通知が届くところで物申して気分よくなって帰る奴への対応がしんどくなりました。以前ならラップバトルを申し込んでみたり、有名税(笑)だと割り切っていましたが、立場上エキサイティングしづらくなったことも含めて「もらい損」だなと思うことが増えました。お金を頂くことでこの「もらい損」感を緩和でき、ブログのモチベーションに繋がるのではないか、というのが今の仮説です。

 

インターネット広がりすぎ

スナックで野球観戦するおっちゃんがエラーした選手に「死ね~~~!!!」というのは理解できるし光景として想像可能ですしそれを許容する空気の中なら通報はされないと思いますが、今のインターネットで僕がエラーした選手に対して「死ね~~~!!!」というのは許容されづらい、と考えています。これはちょっと極端な例なので金をもらってもやらないと思いますが。

 

特に今はコロナ化で「粛々と生活せい」であれ「気にせず生活せい」であれ、色んな主義主張に対して容易に反論が可能なので、フルオープンな場所で何かしらを発信することそのものにリスクを感じています。マクドナルドに行って「マクドナルドに行った」とTwitterで呟くのも発信するか倫理的にどうなのかしっかり悩めるレベルです。

 

そんな中でブログを発信し続けるのは容易ではありません。そこである程度文脈に理解のある方(=ちょもすに金を払ってもいいと思える人)に対してのみ発信することで、セミオープンな場所を作れると考えました。オープンな場所で発信するのはやめませんし必要なことだと考えていますが、一言一句いるかもわからない人間に対して配慮しながら発信する今の状態は「発信の量を落とす」ことでしか解決できない状態になりつつあります。

 

それは恐らく望まれていないことだし、僕も望んでいないことなので、解決策の一つとして有料記事というアプローチを取ってみたいと考えました。

 

お金があると老後もゲームができる

お金があると老後もゲームができます。

 

 

誤解なきよう言っておきますが、オープンな場所で活動することを諦めたわけではないです。このブログも実は先月から三日おきの更新頻度の継続に成功しており、それは続けたいと思っています。多くの人に読んで欲しい性質のものはこっちで更新するつもりです。

 

ただ、今まで「色々と微妙なラインだからやめとくか」「重箱マンにつつかれる穴を埋めれないからやめとくか」で脳内や下書きに止めてたいたものを、セミオープンな場所に特定することで出せるなら出した方が良いかと考えました。あくまで+αなのだと受け止めて頂けるとありがたく思います。またあくまで実験的なので、なんか違うな~と感じれば躊躇なく辞めるつもりです。

 

 

 

以上。何卒よろしくお願い致します。

 

それじゃあまた。

「後ろを取ったら勝てる」の嘘

ちょもすです。

 

note.com

 

内容については「好きなゲームをやれ」に尽きる。

 

ただ興味深い一節があって、

 

自分がこのゲームを本当に面白くないと思ったのは、マスティフショットガンを持って
 リロード中の相手に後ろから先制射撃を初めた戦闘で自分が一方的に打ち負けた瞬間です。
 当然ですが1:1ですよ。

 

これは僕もまっっっっっったく同じことを思ったことがある。FPSは後ろを取ったら勝てるらしい。なら後ろを取るためにはこうしたらいいはずだ。考える。やってみる。後ろを取れた。弾が当たらない。死ぬ。『APEX LEGENDS』はクソゲーである。ファック。二度とやりたくないクソジャンル。ゲームの世界から滅ぶべし。

 

……そう考えていたこともあった。

 

割と筋道は通っている気がするが、この理屈にはそもそも落とし穴があると僕は考えている。

 

後ろを取ったら勝てるの嘘

「後ろを取ったら勝てる」。これは嘘だ。「天上階まではチュートリアル」「カサディンがレベル16になったら勝ち」「4ターン目にオルゴ・デミーラを置いたら勝ち」と本質的に一緒で、いかに信頼できるFPSプレイヤーがそう言っていようが、ゲーム攻略サイトがそう言っていようが、これは嘘。少なくともそう捉えたほうが心の健全が保てる。

 

「後ろを取ったら勝てる」を僕なりに正確に言い換えると「後ろを取った時に冷静にプレイできるだけの心の余裕を持ち、後ろ向きの相手を狙ってエイムできるだけのエイム力があり、後ろを取った相手と自分との操作技術が一定以上離れていなければ勝てる」。これが満たさなければ後ろを取っても勝てない。ではなぜそれが「後ろを取ったら勝てる」と略されるのかと言えば、多くのプレイヤーにとってそれが自然とできることで、例外になることが少ないという事情にある。80%に向けられた言葉は、20%の人々を捨てる。

 

多くの人にとっての「常識」があえて共有されることは少ない。例えば水泳競技の技術的な話において、プールで25mが泳げない人に対して向けられる言説はほとんどないはずだ。いちいち25m泳げない人に対してのフォローを考えなければいけないとなると、話がまったく進まないし、意味の薄いものができる。だから言及されない。

 

初心者には初心者に向けた講座はあるじゃないか、とのたまう人がいるかもしれない。それは確かにそうだ。しかし僕が過去『APEX LEGENDS』を狂ったようにやった時にはいくら攻略動画を見てエイムの練習とリロード中に隠れる練習をしても撃ち勝てるようにならなかった。エイム練習のやり方は懇切丁寧に書かれている。リロード中の動きも詳しく乗っている。練習してなんとかできるようになった。世間的にはこれらが出来ればブロンズ帯では撃ち勝てるらしいのだが、僕はなっていない。なぜ?『APEX LEGENDS』がクソゲーだから?

 

違う。僕には冷静さが足りなかったのである。弾を撃つ時に冷静になれるだけの余裕がその時にはなかった。言い換えるなら、水に顔をつけると冷静ではいられないのに、25mを泳ごうとしていた。初心者というくくりの中ですら、「水に顔をつけながらバタ足できるのは当たり前」、「弾は冷静に撃てて当然だ」といった常識となる前提があったのだ。僕はそれに気づくまでに時間がかかり苦悩した。

 

教える側も水に顔をつけるとパニックになる人間に向けて教えるのは難しい。今でこそノウハウがあるのかもしれないが、自分では経験できず、再現もできないことを教えるのは本当に難しいことだ。ましてや、見た目上は平気で水に顔をつけていれば、問題の切り分けも難しくなる。バタ足は出来てる。息継ぎもできてる。でも泳げない。なぜ?

 

そういう人間に対して教えを与えるのは難しいのだ。『APEX LEGENDS』はクソゲーではなかった。僕が「当たり前」の上に乗っていなかっただけだ。

 

僕がこのことを考えるきっかけはヨガの授業を受けた時だった。他の人が当たり前にできるポーズを自分だけができない。具体的には腕の筋力がなさすぎて自重を支えられず、ポーズを取ることができなかった。周りも苦笑する。4500年の歴史があるとされるヨガですら、これだけ腕の筋力がないにも関わらず、自重ばかりがありすぎる人間を想定して作られていないのである。理不尽極まりない体育の授業を思い出した。自分は人間なのだろうか。人間ではないのかもしれない。そんなことを真剣に考えたとき、ゲームの世界にも似たようなことがあると気づいた。想定もしない初心者。教える側のイメージから外れた人間の存在。

 

とはいえ、ゲームは参入障壁が低い。誰だって遊べる。それがいいのである。だからこそ、その参入障壁の低さから枠を外れた人間がたくさんいてもおかしいことはない。

 

問題の解決

この手の問題を向いていないで終わらせるのは正しい。人には向き不向きがある。できることとできないこともある。だがそれでも立ち向かうなら「分解」が鍵になる。

 

問題が「後ろを取っても勝てない」では解決できない。後ろを取っても打つのが遅すぎて勝てないのか、後ろを取っても弾が当たらなくて勝てないのか、後ろを取ると頭が真っ白になってしまい勝てないのか、問題を分解することで活路を見出せることがある。打つのが遅すぎるなら敵を見つけて打つまでを早くする練習が必要だし、動いている相手に弾が当たらないなら動く相手に向けて弾を当てる練習が必要だ。頭が真っ白になるなら冷静になるには何が必要なのかを考える。

 

これは蛇足かもしれないが、経験上、分解していくといくつかの技術的視点と経験値が足りないという場数の問題にたどり着きやすい。例えば「パニックにならない」とか「緊張しない」なんてものはいくら理屈を並べても経験なしに会得できないものだ。似たようなシチュエーションをたくさん経験することで慣れが産まれる。1000時間やってだめなら10000時間で解決する、というのはよくある話で、途方もない時間に思えるかもしれないが、エイムで苦労しない人間はそれくらいたくさんFPSゲームを経験していたり、他のスポーツや勉強に費やした時間と経験を応用してエイムのコツを習得している。

 

実は、最も重要な攻略が「楽しく取り組める環境作り」になることは少なくない。楽しく遊ぶ9000時間と、修行と捉えてプレイする9000時間、どちらが達成可能か、という話になるからだ。特定のジャンルで際立った成績を残すプレイヤー達全員が、修行のような時間を何千時間も過ごしたとは考えにくい。

 

これは一種の暴力でもあると考える。特定のゲームジャンル経験者が楽しく遊び何気なく環境を作り、そうやってこなしてきた10000時間を、そんな前提がないかのように初学者に技術を伝える。危険そのものだ。環境もなければプレイ時間も少ないのだから前提が大きく違うのである。

 

対戦ゲームが歴史を積み上げてきて、特定のジャンルに長い時間を費やしている人間は珍しくなくなった。だからこそ、自分がゲームに途方もない時間を費やしたことには自覚的でありたい。無責任に「やってれば〇〇にはなれるよ」と言うのは避けるべきだし、「〇〇してれば勝てる」とも言うべきではない。嘘だからだ。その頭には必ず隠された「そのジャンルに〇〇時間触れた上で」だったり、「人並み以上の才能があれば」が付く。そのことを忘れないようにしたいし、初学者の人がそれらの言葉に呪われないことを願う。

 

 

 

以上。

 

次回記事は「サンダーさえ取ればポケモンユナイトは勝てる。サンダーを取って勝てない奴は大バカ」の予定です。

 

 

それじゃあまた。

蒲田のソル

ちょもすです。

 

実は今月も『GUILTY GEAR -STRIVE-』にて天上階に到達していたりする。

 

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ソルの火力にあぐらをかいてふざけた行動をするのが楽しい。向上心と言えばもっぱら重いコンボの練習に割く。キャラ対は二の次。遠Sカウンターから足払いHSヴォルカクリーンヒットの気持ちよさがすごい。

 

高校生の頃に蒲田のソルはコンボだけ異常に発達してるとかあったな。なつかしい。おれが蒲田だ。

 

 

 

それじゃあまた。

ありがとう『ドラゴンクエストライバルズ』

ちょもすです。

 

 

3年と9か月。長かったような短かったような。色んなことがありました。

 

振り返って考えてみると、僕にとってのドラゴンクエストライバルズというのは出会いのゲームでした。ドラクエ勢に出会い、カードゲーム勢に出会い、憧れの有名人に出会い、匿名で煽りちらかすクソ野郎に出会い。ありがたいことに、普通に生きていたらまず交わらないであろう、多くの人達との出会いをもたらしたゲームでした。

 

それは僕を見出してくれたスタッフの方々や、時たましょうもない解説をかましながらもなんだかんだ僕を応援してくれた視聴者の皆様のおかげであり、最大限の感謝をこの場を借りてお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

 

勇者杯の時にも言ったことですが、ライバルズが遊べなくなっても、遊んだ事実は残ります。「正体をあらわす」に始まる魅力的なカードテキストのことはこの先きっと忘れないし、とんでもない量のフレーバーが用意されていた作りこみも忘れないし、プレイヤーの1%も見れないであろうレアな掛け合い台詞がたくさんあったことも忘れることはないでしょう。一部のクソ調整、クソ設定のソロモードに目を瞑れば、これほどまでに製作者の愛がこめられたゲームもなかったと思いますし、その事実は忘れずに生きていきたいと、今は強く思っています。

 

ライバルズに教えられたことは、見る楽しさの重要性です。初期のころから、このゲームはきちんとプレイするには難解なゲームでした。特定の状況においてどのカードを選択するか、というのがカードゲームの難しいところであり面白いところですが、ライバルズはそこから更に「どこに置くか」を要求するゲームです。何の能力もないモーモンですら、いつ出すか、そして他のモンスターや冒険者との兼ね合いを考えてどこに置くのが最適なのか考えるのは、楽しいことであり、ハードルの高い行為でもありました。

 

そのハードルの高さから、実際に自身がプレイしてどうこうよりも、人のプレイを見ることに重きを置いた人達もたくさんいたと思います。そしてそのことが、やる側と見る側という、妙な連帯感を生んだ稀有なゲームでした。将棋を指さないけど観戦は好きな人のことを「見る将」などど言ったりしますが、「見るライ」をこのゲームはたくさん産み出していたと思います。

 

事実他人のプレイを見る分には飽きづらいゲームで、3Dモデルのあるモンスターや冒険者や魔王達が、わちゃわちゃと戦っているのを見ているだけで楽しいゲームでした。ダークドレアムが武器をぶるんぶるんと振り回しながら全てを破壊する様、あまり意識はしないかもしれませんが、視覚的に楽しいものだったと僕は思います。見た目がわかりづらくなりがちなカードゲームというジャンルで、いちいちコストのかかる3Dモデルを用意し、実際に出会うかどうかもわからない掛け合いを山のように用意し、レジェンドが出ればBGMが変わる。ゲームテンポをいくらか犠牲にしてまでも「魅せる」ことにこだわっていたゲームがスマートフォン一つで遊べる状態にあったことを、僕がこの先忘れることはないでしょう。

 

色々な経験もさせてもらいました。あれだけ多くの人の前で自分が喋る機会をもらえるのは人生の中でもそう多くないでしょうし、自分にメイクが施されるという事実も、昔のゲームだけで息をしていた自分から考えれば驚くべきことです。しまいにはメイクの人と雑談してる自分がいました。信じられませんね。

 

スクエニの社内に入れてもらえたこと、映画館で喋ったこと、TGSの謎の企画で喋ったこと、大好きだったうんこちゃんに出会えたこと、ふざけたおもちゃの中から大当たりを引いて、グランプリ覇者になれたこと。とてもここでは書ききれないほどの経験がこのゲームを通じてあり、その一つ一つが今の自分を形成しています。稼働中はただただ遊んでいたつもりでしたが、気づけば僕という一個を育ててくれたゲームでもありました。

 

これだけ自分にとって偉大なゲームがサービス終了したことから、学ぶべきことも多くあります。その中でもここで書きたい一つは、僕は好きなことを好きだと、もっともっと言わなければならないということです。クソカードを作った奴の住所を特定するのも大事なことですが、同時に好きなこともちゃんと好きだと、良いものは良いと発信しないことには、熱狂はありえません。誰かがやってくれる、誰かが言ってくれると僕は他人に期待しがちですが、自分が愛する物を見つけたら、他人ではなく自分が、主体的に動くことが重要だという当たり前のことを、改めて実感しました。それは今までの僕に足りなかった部分だと思います。それはSNSでいいねボタンを押すだけでも良いし、配信を見に行って「草」というだけでも良いのだと思います。やる気があれば友人との会話中に5秒に1回ヘルバトラーの真似をしてサブリミナル効果を狙うのもいいかもしれません。

 

どれだけ些細なことでも構わないから、もっと主体的に行動すべきだった、というのは今考えていることです。ネガティブな感情に埋もれがちな小さな好きの感情を、意識的にもっと大事にしなければなりません。僕一人が何かをしたところで何も変わらなかったかもしれませんが、もしも色んな人が似たところに向かって行動したのだとすれば、そこには大きなうねりが産まれます。サービス終了の要因を「運営のせい」だと切って捨てるのは簡単です。事実そうなのかもしれません。しかしそれでは何も産まれず、「運だけ」だと切り捨てるカードゲーマーそのものです。僕はもらったこのたくさんの経験と洞察を、次に生かす責任があるのだと思います。

 

最後に堅苦しい話になってしまいました。結局何が言いたいのかと言えば「ありがとう」ということです。それに尽きます。感謝しかありません。最大限の感謝と共に、僕は次の戦いに赴きたいと思います。

 

 

 

それじゃあまた。