chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

「後ろを取ったら勝てる」の嘘

ちょもすです。

 

note.com

 

内容については「好きなゲームをやれ」に尽きる。

 

ただ興味深い一節があって、

 

自分がこのゲームを本当に面白くないと思ったのは、マスティフショットガンを持って
 リロード中の相手に後ろから先制射撃を初めた戦闘で自分が一方的に打ち負けた瞬間です。
 当然ですが1:1ですよ。

 

これは僕もまっっっっっったく同じことを思ったことがある。FPSは後ろを取ったら勝てるらしい。なら後ろを取るためにはこうしたらいいはずだ。考える。やってみる。後ろを取れた。弾が当たらない。死ぬ。『APEX LEGENDS』はクソゲーである。ファック。二度とやりたくないクソジャンル。ゲームの世界から滅ぶべし。

 

……そう考えていたこともあった。

 

割と筋道は通っている気がするが、この理屈にはそもそも落とし穴があると僕は考えている。

 

後ろを取ったら勝てるの嘘

「後ろを取ったら勝てる」。これは嘘だ。「天上階まではチュートリアル」「カサディンがレベル16になったら勝ち」「4ターン目にオルゴ・デミーラを置いたら勝ち」と本質的に一緒で、いかに信頼できるFPSプレイヤーがそう言っていようが、ゲーム攻略サイトがそう言っていようが、これは嘘。少なくともそう捉えたほうが心の健全が保てる。

 

「後ろを取ったら勝てる」を僕なりに正確に言い換えると「後ろを取った時に冷静にプレイできるだけの心の余裕を持ち、後ろ向きの相手を狙ってエイムできるだけのエイム力があり、後ろを取った相手と自分との操作技術が一定以上離れていなければ勝てる」。これが満たさなければ後ろを取っても勝てない。ではなぜそれが「後ろを取ったら勝てる」と略されるのかと言えば、多くのプレイヤーにとってそれが自然とできることで、例外になることが少ないという事情にある。80%に向けられた言葉は、20%の人々を捨てる。

 

多くの人にとっての「常識」があえて共有されることは少ない。例えば水泳競技の技術的な話において、プールで25mが泳げない人に対して向けられる言説はほとんどないはずだ。いちいち25m泳げない人に対してのフォローを考えなければいけないとなると、話がまったく進まないし、意味の薄いものができる。だから言及されない。

 

初心者には初心者に向けた講座はあるじゃないか、とのたまう人がいるかもしれない。それは確かにそうだ。しかし僕が過去『APEX LEGENDS』を狂ったようにやった時にはいくら攻略動画を見てエイムの練習とリロード中に隠れる練習をしても撃ち勝てるようにならなかった。エイム練習のやり方は懇切丁寧に書かれている。リロード中の動きも詳しく乗っている。練習してなんとかできるようになった。世間的にはこれらが出来ればブロンズ帯では撃ち勝てるらしいのだが、僕はなっていない。なぜ?『APEX LEGENDS』がクソゲーだから?

 

違う。僕には冷静さが足りなかったのである。弾を撃つ時に冷静になれるだけの余裕がその時にはなかった。言い換えるなら、水に顔をつけると冷静ではいられないのに、25mを泳ごうとしていた。初心者というくくりの中ですら、「水に顔をつけながらバタ足できるのは当たり前」、「弾は冷静に撃てて当然だ」といった常識となる前提があったのだ。僕はそれに気づくまでに時間がかかり苦悩した。

 

教える側も水に顔をつけるとパニックになる人間に向けて教えるのは難しい。今でこそノウハウがあるのかもしれないが、自分では経験できず、再現もできないことを教えるのは本当に難しいことだ。ましてや、見た目上は平気で水に顔をつけていれば、問題の切り分けも難しくなる。バタ足は出来てる。息継ぎもできてる。でも泳げない。なぜ?

 

そういう人間に対して教えを与えるのは難しいのだ。『APEX LEGENDS』はクソゲーではなかった。僕が「当たり前」の上に乗っていなかっただけだ。

 

僕がこのことを考えるきっかけはヨガの授業を受けた時だった。他の人が当たり前にできるポーズを自分だけができない。具体的には腕の筋力がなさすぎて自重を支えられず、ポーズを取ることができなかった。周りも苦笑する。4500年の歴史があるとされるヨガですら、これだけ腕の筋力がないにも関わらず、自重ばかりがありすぎる人間を想定して作られていないのである。理不尽極まりない体育の授業を思い出した。自分は人間なのだろうか。人間ではないのかもしれない。そんなことを真剣に考えたとき、ゲームの世界にも似たようなことがあると気づいた。想定もしない初心者。教える側のイメージから外れた人間の存在。

 

とはいえ、ゲームは参入障壁が低い。誰だって遊べる。それがいいのである。だからこそ、その参入障壁の低さから枠を外れた人間がたくさんいてもおかしいことはない。

 

問題の解決

この手の問題を向いていないで終わらせるのは正しい。人には向き不向きがある。できることとできないこともある。だがそれでも立ち向かうなら「分解」が鍵になる。

 

問題が「後ろを取っても勝てない」では解決できない。後ろを取っても打つのが遅すぎて勝てないのか、後ろを取っても弾が当たらなくて勝てないのか、後ろを取ると頭が真っ白になってしまい勝てないのか、問題を分解することで活路を見出せることがある。打つのが遅すぎるなら敵を見つけて打つまでを早くする練習が必要だし、動いている相手に弾が当たらないなら動く相手に向けて弾を当てる練習が必要だ。頭が真っ白になるなら冷静になるには何が必要なのかを考える。

 

これは蛇足かもしれないが、経験上、分解していくといくつかの技術的視点と経験値が足りないという場数の問題にたどり着きやすい。例えば「パニックにならない」とか「緊張しない」なんてものはいくら理屈を並べても経験なしに会得できないものだ。似たようなシチュエーションをたくさん経験することで慣れが産まれる。1000時間やってだめなら10000時間で解決する、というのはよくある話で、途方もない時間に思えるかもしれないが、エイムで苦労しない人間はそれくらいたくさんFPSゲームを経験していたり、他のスポーツや勉強に費やした時間と経験を応用してエイムのコツを習得している。

 

実は、最も重要な攻略が「楽しく取り組める環境作り」になることは少なくない。楽しく遊ぶ9000時間と、修行と捉えてプレイする9000時間、どちらが達成可能か、という話になるからだ。特定のジャンルで際立った成績を残すプレイヤー達全員が、修行のような時間を何千時間も過ごしたとは考えにくい。

 

これは一種の暴力でもあると考える。特定のゲームジャンル経験者が楽しく遊び何気なく環境を作り、そうやってこなしてきた10000時間を、そんな前提がないかのように初学者に技術を伝える。危険そのものだ。環境もなければプレイ時間も少ないのだから前提が大きく違うのである。

 

対戦ゲームが歴史を積み上げてきて、特定のジャンルに長い時間を費やしている人間は珍しくなくなった。だからこそ、自分がゲームに途方もない時間を費やしたことには自覚的でありたい。無責任に「やってれば〇〇にはなれるよ」と言うのは避けるべきだし、「〇〇してれば勝てる」とも言うべきではない。嘘だからだ。その頭には必ず隠された「そのジャンルに〇〇時間触れた上で」だったり、「人並み以上の才能があれば」が付く。そのことを忘れないようにしたいし、初学者の人がそれらの言葉に呪われないことを願う。

 

 

 

以上。

 

次回記事は「サンダーさえ取ればポケモンユナイトは勝てる。サンダーを取って勝てない奴は大バカ」の予定です。

 

 

それじゃあまた。