chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

才能の差を感じる時

ゲーマーの能力

さて、今回のお題を「ゲーマーの能力」としたのは、マリオ3Dランドをプレイしながら、上手なゲーマーにはあって自分のような下手なゲーマーにはないものを強く感じさせられたことによります。

それは自己修正能力です。

しかしながら、慣れる事でクリアしていく一方で、同じところでばかり失敗してしまうもので、なかなか修正できない自分が悔しくなってくるんですよ。人を失敗させるためには何らかの緊張状態に追い詰めるのですが、その中で悪い癖が出てしまい、何度やってもそれが直らない。悔しく思いながらも、それが楽しくてやめられないから良いゲームなんだけれどw 上手い人は、失敗してもそれを修正して正していくのが早く精度が高い。そんなゲーマーの能力に気付いて憧れるばかりです。

これね。もうわかりすぎてむずむずしますよね。下腹部のあたりね。僕で言うと特に格ゲーね。

僕の格ゲーに何が足りないかってまさにこれだと思うんですよね。自己修正能力。
対空出せば勝てるのもわかるんですよ。で、ずっと見てれば対空出ることもわかってるんですよ。論理的には。どうやれば可能かもわかる。

でも僕の場合は、凄い回数こなしたりとか、あるいは面白くない類の努力をしないと身に付かないんですよね。それはもう今まで積み重ねてきた格ゲー経験の差とか、練習量の差とか、あるいはそれを楽しく取り組めるかどうかの差とかたくさんあると思うんですけどね。それでもまあ、僕が総合的に見て「楽しくない」とか「そこまでしてやりたくない」というラインに達している行動を取らないと、これ以上は「格闘ゲームにおける自己修正能力」は上がっていかないだろうな、という所に至ってしまった。

で、僕がそういう諦めの境地に入っているところを、あっさりやっていく奴とかがいると、それはもうなんか悔しいですよね。そういう人たちから見れば僕は単に努力不足――もっと意識配分を練習しろとか、確定反撃の練習をしろとかなんでしょうけど、僕から言わせてもらえばそれって努力じゃなくて才能だと思うんですよね。そういった行動を苦痛に思うことなくやれるっていうこと自体が才能というか。将来の勝利のために地味な作業にどれほど自分のリソースを裂けるか、というか。



つまり何が言いたいかと言えば、やっぱり匿名の「○○すら出来ないのは流石にないw」みたいなのはやっぱり馬鹿丸出しなんじゃね?っていう、いつもの2ちゃんねらーニコ厨叩きになるんですけどね(笑)

「○○すらやらないのはさすがに努力不足」

みたいなのって言ってる方は気持ちいいでしょうけど、それって多分違うよね。努力は努力なんですけど、「努力出来るかどうか」はやっぱり才能なんですよ。



…こうやって言い訳して僕は生きてくって決めました!

特定の努力が嫌いな人がこういう風に皆言うようになったら僕もちょっと生きやすくなるかもしれない、という希望をこめつつ。