煽り耐性をいかにして得るか
結局煽り耐性ってどうやったらつくんだろうね。僕なんかよく「人を煽るくせに煽り体制はない」みたいに言われて実際まあそうだなと納得してるんだけど、じゃあ煽り耐性ってどうやったら付くのか考えてみると、これがよくわからない。
身近な人を見ていると、自分に自信のある人は煽り体制が強い傾向にあると思う。何言われてもあんまり気にしないというか、「まあ嫌われてもしょうがないか」くらいのメンタルを持ってるイメージがある。僕も最近どっちかというとそういう傾向にあるけど、昔の僕は全く逆で、かなりひどかった。
とにかく嫌われたくないから予防線を張りまくるんだよね。文頭に一生「これは僕の意見ですが〜」とかつける感じ。それは自信がないから。「この人に嫌われたら人生終わり」くらいに考えてる人が、そういう人たちの中に結構いるんですよ。僕はそうだった。こいつに嫌われたら人生終わるな、と思いこんでることは多かったな。
でもある意味それは処世術だったのかもしれない。実際小学校とか中学校とかってそういう側面あると思うんだよ。ヒエラルキーの頂点みたいな奴に嫌われたらもうおしまいみたいな所あるじゃないですか。小学生におけるヒエラルキーの頂点とかそういう付近に立てなかった人なりにうまくやる方法ってのは、そうやって予防線を張っていく生き方だったと思うんですよ。
で、ある程度自分で付き合う相手を選べるような年代になってくると、今度はそういう予防線を張りまくってる奴は「こいつうぜーな」みたいになっていくという。いやあ理不尽だなあ。でもそういう理不尽さ今あると思うんだよね。インターネットとかの広さと小学校のコミュニティの狭さのギャップが大きすぎて、うまく行ってないことがあるというか。
話がズレた。煽り耐性なるものはいかにして得るか。
今の予測としては、「経験」と「反省しすぎないこと」が大事なんじゃないかと思う。
経験は経験。とにかく煽られる。インターネットを始めた当時は掲示板に悪口を書かれようもんなら豪鬼の様相で長文の書きこみを返してたわけだけど、少なくとも今はそういうことが無くなったというのは、やはり経験があるんじゃないかと思う。煽られて、失敗して、学ぶ。アレ?これ反省してるな。
早速えらい矛盾してるんだけど、こと「煽り耐性」ということに関して言えば、反省しないというのも大事だと思う。特に僕は過去の出来事を反省しすぎる。過去の失敗を一生思い出して反芻して「こうすれば良かった」と3年くらいの間は1カ月に1度のペースとかで考えてしまう人間なので、もっと反省しない方がいいということに最近気づいた。
反省しすぎるとやっぱり自分に自信がなくなってくる。反省しすぎた結果なんで俺はこんなに人生ヘタクソなんだろう…みたいになってくるので、反省は一回でいい。仮にまた思い出すという失敗を犯したとしても、それは「俺またやってるよ(笑)」くらいな寛大な心を自分に対して持つようにしてる。
自分を高めるとか、ノーベル賞をとるとか、社長になりたいとか、そういう意識の高い人達は目的のために反省しまくったほうがいいと思う。が、楽に生きるためにはあんまり反省しすぎないのも大事ですよ。僕らは小さい頃から「社長になりました」とか「3kg痩せました」とかそういう成功体験ばっかりテレビやネット等で見すぎたと思うんですよね。そういう意識の高い生き方やっぱ辛いっすよ。
ということを思って明日もバイトです。最近僕が働くことについて「バイト」という言葉を使うか「仕事」という言葉を使うかで非常に悩むんだけど、どっちの方がいいんだろうね?「仕事」っていうとなんかドヤ顔できる。けど、ドヤ顔しすぎてる可能性もある。まあいいか。自分で使ってて気持ちいい方を使おう。
5月が終わればまた少し落ち着くと思うので、GWの充電分を吐き出す気持ちで頑張ってまいります。