対戦ゲームとランクマッチの呪い
ちょもすです。
色んなゲームの色んな人たちのTwitterを見るのが好きなので、特定のタイトルだったりその略称だったりでTwitterで検索してどんなことを呟いてるのかな~って見たりするんですけど、最近よく見るな~と思っているのが、「〇〇(対戦ゲーム)全然勝てないから辞めます」みたいな奴です。
確かに対戦ゲームで全然勝てなかったら面白くない人の方が多いし、理由としては大変に真っ当だと僕は思いますが、なんかこう、現代にはびこるある種の呪いだなとも、最近は思っています。呪い。2019年の僕のテーマは呪いです。
そのことについて今回は書いてみたいと思います。
ランクマッチがもたらしたもの
いつでも誰とでも対戦ができるランクマッチ。いつからか対戦ゲームに標準搭載されるようになりましたけれども、ランクマッチが標準搭載されるそれ以前のゲームの話をここではランクマッチ以前のゲーム、搭載された以後のゲームをランクマッチ以後のゲームとしましょう。
ランクマッチ以前のゲームは、TCG/DCGしかり格闘ゲームしかりRTSしかり、対戦相手を探す段階が少なからずありました。どこそこのコミュニティに入りこんでみたり、人が多いゲームセンターに行ってみたり、IRCチャンネルに常駐してみたり。
それ自体大変に煩わしいものだったし、悪い言い方をすれば障害そのものなのでそのハードルがなくなること自体はよかったはずです。そう考える人が少なくなかったからこそ、ランクマッチというシステムがユーザーに歓迎されたわけです。
それでもここ数年色んなゲームを見てきて、その対戦相手を探す行為それ自体も、実は対戦ゲームを構成する重要な要素だったんじゃないかと思い始めています。
リベンジ可能かどうか
というのも、対戦相手のハンドルネーム、あるいは顔、そういったものを認識しないとそもそも対戦が成立しなかったランクマッチ以前のゲームと、変更可能な実質匿名のハンドルネームと戦うランクマッチ以後のゲームで大きく違うのは、特定の人間に挑戦が可能かどうかです。即座に「ルームマッチ」という反論が聞こえてきそうですが、僕が言いたいのは一方がある個人を認識している状態も指しています。
よくお店にいる実力が近しいあの人に勝ちたいとか、
あの女の子がやってるゲームが気になるとか、
地元のゲーセンによくいるあいつに舐めプレイされたからゲームで殺したいとか、
クソつまらない冗談をパブリックなチャットスペースに垂れ流すあいつだけには絶対負けたくないとか、
そういうのです。ランクマッチは対戦相手が煽ってきていくら悔しい思いをしても、基本的には再戦不能です。しかしランクマッチ以前のゲームは再戦可能であることが多かったように思います。だからこそあの人に勝ちたいから努力する、あの人たちと一緒に遊びたいから練習する、といったわかりやすい目標があったわけです。
実はランクマッチ以後の対戦ゲームでも、上位層まで行くとマッチングの関係で顔見知りとのマッチングが多くなったりしますが、上位層というのは全プレイヤーの数%しかないわけなので、ここでは脇にどけて話を進めます。No more オタク。
ランクマッチ以後の呪い
再戦の可能性のあった世界から再戦不可能な世界になって何が変わったのかと言えば、今画面の向こう側にいる誰かもわからん奴に勝つのが対戦ゲームの第一命題になったということです。「あいつに勝ちたい、あの人と遊びたい」から、「誰にでも勝ちたい、誰とでも遊びたい」に変わったと言えるかもしれません。このことが、二つの呪いを生んだと僕は解釈しています。
誰とでも遊びたいは「誰とでも遊んで楽しいゲーム」という幻想をこれまで以上に求められるゲームにかけられた呪いです。ゲームは誰と遊ぶかで面白さが往々にして変わるものですが、誰かわからない人と遊ぶことがメインになったことで、その分ゲームに面白さを求められるようになりました。
誰にでも勝ちたいというのが対戦ゲームを遊ぶプレイヤーにかけられた呪いです。誰にでも勝ちたい人が100人集まっても、100人全員が勝ち切ることはありません。満足いく勝率を収められるのはせいぜい上位の10人とか20人であって、残りの80人は概ねつまらない思いをします。
負けたけど負けてない
この呪いの対処法は今のところ二通りあると思います。一つはランクマッチ以前の世界、つまり「あいつに勝ちたい、あの人と遊びたい」の世界を作ること。目的や実力の近しい人を認識できるシステムを作る。対戦相手を「ランクマッチを押したら出てきた奴」じゃなくて、「〇〇さん」まで押し上げる何か。
でもこれシステムでやるのめっちゃ難しいんですよね。基本的にはプレイヤーが動かないと何も起きないので。「身近なあの人」を作るきっかけがたくさんあればいいはずなので、小規模大会的なそれだったり、チームやギルド的なそれとか集団で戦わせて結果得するそれとか、集まるきっかけがあればいいんだと思いますけど、言うのは簡単というだけで、それらを継続的に続けるのはかなりの根性とコストが必要です。
二つ目の解決は『PUBG』と『Fortnite』です。バトロワですね。最近出たゲームで成功したゲームといえば真っ先に『Fortnite』が挙げられるくらい大成功したこのジャンルですが、このジャンルの良いところは原理的に負けないところです。
5:5で戦って負けたチームって負けですし、1:1で戦って負けたらもちろん負けなんですけど、100人集めて1人の優勝を決める戦いって、99人負けかっていうとそうじゃないんですよね。「負けて当たり前」だし「はいはいどんまい次行こう」だから、心情的にはさほど負けてないんですよ。データとしては負けてるかもしれないけど、精神的には全然負けてない。
実は5:5とかのチーム戦に関しても、10人集めて5人は負けないこと多いなと僕は思っていて。あまりに自分のコントロールできる範囲の外で負けたりすると、「今のは仕方ないな」みたいな気持ちでサクっと次にいけることがあるんですよ。それって負けてるけど負けてないんですよね。
それで言うとDCGとかもそうで、今のは自分と関係ないから仕方ないって思える試合は負けた気がしないというか、打ちのめされない。クソゲーとは思うかもしれないけど、いずれまたやる。少なくともそれで「勝てないから辞めます」とは言わないはずなんですよね。
つまりプレイヤーが負けて当然と思える試合が多ければ多いほど、全体から「精神的に負けている人」の割合が減っていく。なるほど、50%のプレイヤーが負けるはずの1:1の対戦ゲームから敗者を減らすには、ゲームそのものを負けて当然と思わせ、打ちのめさないのが正しいと思われるわけです。DCGで言えば運ゲーと思える状態にする、といったところでしょうか。なるほどなあ。
一応言っておきますけど、運ゲーではなく、運ゲーと思える状態ですからね。最近みんな文章読んでくれないからわざわざ書いときますけど。運ゲーと思える状態に運ゲーは含まれますけど、必ずしも運ゲーである必要はないです。
ランクマッチと競技性
また、ここまでの仮定をそれなりに正しいとすれば、ランクマッチと競技性が相反するものであるということがわかります。
ランクマッチのシステムを用いてプレイ人口を維持/増加させようと思うなら、人々が打ちのめされない状態を維持する必要があり、競技性を維持しようとするなら、人々が打ちのめされない状態では成り立たない。
今はランクマッチと競技シーンの切り分けだったり、BOnなんかのゲーム外のシステムを用いて成立していますが、ランクマッチの仕組みと競技性の相性が悪いことは疑う余地がないと思います。娯楽と競技の向いているベクトルの違いというか。
テニスにワンボタンで全国のプレイヤーと戦えるランクマがあったらどうなるかを考えてみたりすると結構面白いかもしれません。もちろん姿は見えない状態で、「うんこ食べ太郎」の名前でやってるナダルに打ちのめされて引退する人、結構いそうじゃないですか?
ゲームを娯楽と競技のどちらの視点から見るかでの対立は最近も激しいですが、こんなところにもその一端はあるのかなと思いました。
ランクマッチ以外の遊び方
もうちょっとランクマッチ以外の遊び方はあってもいいと思うんですよね。最近出る対戦ゲームはことごとく「ランクマッチで遊べ!!!」的な作りなことが多いんですが、もっと勝てなくて当たり前、勝ったらすごいの仕組みがあっていい。
『Shadowverse』のグランプリ的な仕組みだったり、『Magic Online』の8構的な仕組みだったり、『League of Legends』のClash(できないけど)だったり。MO以外のこの辺のシステムはランクマッチの問題点をわかったうえで始めてるっぽいので、そもそもランクマッチが標準じゃない時代に差し掛かってる気がしなくもありません。
ゲーム人類、そろそろランクマッチから卒業してもいいと思うんですが、どうでしょうか。
それじゃあまた。