VCTを見ていた
ちょもすです。
僕は『VALORANT』はやったことがありません。
でも見ていた。『VALORANT』の世界大会である『VCT』を。朝の4:30まで。僕の睡眠時間はどこだ。
ぐちゃぐちゃの岸大河
構図としては古くは『Counter Strike』の時代から国際大会では中々日の目を見なかった、日本という国。その日本のチームが、本場EU1位のクソ強チーム(LoLでもお馴染み『Gambit Esports』)にあわや、ということだったらしい。これはオタクに聞いた。
『League of Legends』でDFMがC9に初めて挑んだときに僕が抱いた気持ち、あるいは最近DWGに勝ちそうになったときと似たようなシチュエーションだ。
岸さんの感情の入り方を見ていると、それが嫌というほどわかる。今の情況に一番感情移入するであろうその人が、現場のキャスターなんだもんな。そりゃあ嬉しいだろうし、悔しいだろうし、泣けるのだと思う。それがいい。
何度かお会いして話したこともあるし、そうでなくとも色んなところであの人の実況を見るけれど、あれほど普段完璧に、冷静に、仕事として美しいほど実況解説をこなすその人が、ゲームの試合を見ながらぐちゃぐちゃになっている。ときおり日本語すらおぼつかなくなる。そんな様子を見ていると、ああもうそれだけ今すごいことが起きていて、それだけのことをこの選手たちはやっているんだ、ということがわかる。たとえ僕がFPSnoobで、VALORANTをまったくやったことがないとしても、CRの選手たちを応援したし、感動するし、興奮した。見ていてよかった。
歴史が感動を作る
こういうエモーショナルなシチュエーションは、どうにも歴史が作っているらしい。苦しい思いをしながらも挑戦しつづけた過去があって、昨今ようやく土台が出来つつあり、それらが花開こうとしている。それがエモいのだ。苦しみの時代に真っ向からぶつかってきた人間ほど、今の日本チームが活躍する時代に思うところがあるのだろう。
『League of Legends』における近年の日本の躍進と、今回の『VALORANT』のこれは、偶然ではないと思う。ほんとうに土壌が出来あがりつつあるのだ。esports後進国と揶揄されていた日本が、世界で戦える土壌が。
ゲームでお金をもらうなんてとんでもないことだった。後ろめたい趣味ですらあった。でも昔のゲームを信じた人達がひとつひとつ地道に積み上げていって、胸を張ってゲームができるほど、日本のゲーム事情を大きく変えたのだ。僕は後ろめたく生きてきた側の人間だったから、ゲームをあまり信じてもいなかった。でもその裏で、ゲームを信じてきた人達がいた。バカにされ続けても地道にたくさんのものを積み上げてそれを繋いでいたからこそ、この感動があるのだ。そのことにハッと気づかされた。僕ももっとゲームを信じなければならない。そして地道に生きねばならないと。
それは決して大技じゃない。地道な積み上げの果てにある。僕も今一度よく考えて、やるべきことを考えてやっていくことにします。それをバカにされるのだとしても。
ブログを毎日書くとかね。
……やっぱゲーム信じるのやめていい?
それじゃあまた。