chomoshのブログ

だいたいゲームのこと。

カードゲームは競技に向いていないけど、「すごい」の可視化で乗り切れると思っている話

ちょもすです。

 

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最近このことについて色んな側面からずーーーーーーーーーーーーっと考えてて、喫茶店でコーヒーを激しくこぼしたり、ひげそりを洗濯機に投入する等していました。考えた結果ようやく一つそれっぽい話ができそうになったので、今日は一つそれっぽい話をしようと思います。

 

観戦していて盛り上がる時とはいつか

ゲームの観戦をしてて瞬間的に盛り上がるシーンって一体どんな時でしょうか。一つ言えるのは、それは少なくとも「すごいことをしている」時ではありません。

 

競技レベルで「すごいことをしている」時というのは得てしてわかりにくいものです。例えば『League of Legends』では、状況的に敵のジャングラーがいる確率は低いし、総合的に見て得なので強気にトレードするなんて高度な判断はありえるわけであり、それは「すごい」ことだと思います。

 

しかし視聴者のコメント欄がどのように盛り上がるのかを振り返れば、それらは主に「死んだ」「生きた」「スキルが当てた」「スキルを避けた」です。盛り上がるためには「すごい」だけでは足りず、「すごいのが誰でもわかる」のが重要になります。

 

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▲Revolさんの「いやおかしいでしょ……」好き。その後のスペイン実況も完全にバカで好き。

 

格闘ゲームでもそうです。あえての遅らせ打撃で盛り上がるのは遅らせ打撃の戦術的すごさに興奮しているわけでない場合がほとんどで、「当たった/コンボを決めた」「ガードした」「減った」「捌いた」というところに焦点が当たります。

 

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▲言わずと知れた。

 

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▲現地ダルシムが最強ララにコンボ入れてるだけで興奮できる

 

FPSも……そうですよね。僕は門外漢だしVALORANTをインストールしてすらいませんが、この試合を見ていた時に興奮したのは「すごいのがわかる」時でした。そしてそれはほとんどの場合でいっぱい当てた時です。「すごい」時ではありません。すごいことすらわからないからです。

 

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▲たまたま見てたらめっちゃ面白かったやつ

 

ではカードゲームではどうでしょうか。これもご多分に漏れず「すごい」時ではありません。カードゲームの勝率に影響する「最も期待値の高い選択肢を選択する」行為はすごいですが、盛り上がりません。最も期待値の高い選択肢が視聴者にとって曖昧なうえ、最適な選択に結果が伴わないことすらたくさんあります。見ているプレイヤーにリテラシーが求められるというのはつまりそういうことで、結果が伴わないスーパープレイに興奮できる土台を視聴者が持てるのか、というところに尽きると思います。無理です。

 

カードゲームにおいて盛り上がるのは「引いた」時、と「選択肢を発見した」時です。後者は稀であり、主な興奮は前者に依存します。

 

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▲不正なメラゴースト。

 

▲僕でも知ってるやつ

 

このことから言えるのは、どうやら盛り上がる瞬間というのは、「すごい」プレイではなく、「大会の戦績や実績で担保されるすごい人間が、見た目にもわかりやすい、すごいとわかるアクションを起こした時」です。ゲームを問わず、すごいけど盛り上がらないシーンはあるし、すごいのがわかるシーンは盛り上がるということです。

 

そのことを踏まえた上で、カードゲームの特異性というのはその先にあると考えます。

 

引くや引かざるや

カードゲームにおいて盛り上がるシーンである「引いた」は人間の力で影響を与えることはできません。山札をシャッフルしたCPUに読み合いを挑んでも山札の内容が変わることはありません。儀式めいた特定のコマンドを入れても山札の内容が変わることはありません。運です。盛り上がるかどうかが完全に運に依存しています。

 

他の対戦ゲームにおいても運が絡むという見かたはあり得ます。すごいプレイヤーが毎回盛り上がる試合をやるわけではありません。すごさがわかりやすいシチュエーションが訪れるかどうかはわからないからです。パッチの内容や使用キャラクターに依存することもあるでしょう。とはいえ、シチュエーション待ちにはなります。これはシチュエーションに対してかかっている運であり、シチュエーションさえくれば、すごいプレイヤーのわかりやすい「すごい」は訪れ、盛り上がり可能です。

 

カードゲームの場合は特定のシチュエーションが訪れた上で、「引く」必要があります。「わかりやすくすごい」を演出するために、良いシチュエーションを引き、そして良いカードを引かなければならない。つまり二段階の運が必要になる。ここがネックであり、わかりやすく「すごい」の演出が難しくなる部分です。

 

もともとなぜ人々がカードゲームに魅了されたのかといったことを考える時に、ランダム性という言葉は欠かせないでしょう。ランダム性があるから様々な試合展開があり、ランダム性があるから自分のせいにしなくて済み、ランダム性があるから初心者が上級者に勝てたりもする。カードゲームとはランダム性を売りにしたゲームであって、それを切り離すことはできません。それ自体が遊びとしての魅力であるからです。勝率60%で十分すごい世界観だからこそ、そこに魅力があるのだと考えます。

 

 

ゲームとしての魅力が競技的盛り上がりやすさと致命的に相性が悪いことは、競技として大きな問題です。これをもって、カードゲームの競技としての成立は難しいため、裾野を広げてリテラシーを高めることで解決する、というking haloさんの主張は一理あると思います。

 

じゃあどうする

とは言ったもののですよ。じゃあ競技に向いてないからカードゲームの大会やめようぜってなって、この世からカードゲームの大会減ったら悲しすぎないですか?僕は悲しいです。オタクが見たい。

 

何の因果かカードゲームに運悪くハマってしまい、連日連夜シャカシャカシャカシャカと無為無策の地獄のような時間を費やして、もう人生にカードゲームしか残っていない男達の狂ったプレイを見られる環境はあって欲しい。そしてそれらが評価される世界であってほしいとも思っています。

 

……実は僕はここまであえて名前を出しておらず、なお競技シーンで成功しており、僕の好きなゲームのジャンルがあります。なんでしょう。

 

将棋です。

 

評価値の功績

将棋観戦には欠かせないものがある時から現れました。評価値と候補手です。

 

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ここ数十年での将棋ソフトは躍進目覚ましく、トッププロの頭脳も超えてしまったうえ、盤面を認識して瞬時に形成を数字化できるようになりました。

 

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これによって何が起きたのかというと、何も知らない視聴者でも将棋を観戦することができるようになりました。どちらが勝ってるのかが瞬時に理解でき、難しい局面でコンピューターの指し示す最善手を指せば「すごい」、違った手を指して評価値を悪くすれば「やってしまった」ということが、わかるようになったのです。

 

この「やってしまった」を追及するコメントに対して、僕はプロ棋士に対するリスペクトの無さから強い憤りを感じていますが、個人の感情はひとまず置いておきましょう。評価値は競技観戦という視点からすればこの上ない革命であることは間違いありません。

 

評価値以前の将棋観戦は大盤解説があったとはいえ、ある程度将棋に対する教養や事前の知識が求められる“通”のためのものでした。あえて悪意のある書き方をすれば、今や将棋観戦はプロ棋士の「やらかし」を神様(=コンピューター)目線で指摘できる俗物的なエンターテイメントとしても消化が可能です。と同時に、およそ人間らしからぬコンピューターの最善手を人間が指した時、感動することもできるようになりました。

 

これはまさしく「すごい」の可視化です。将棋のことは何もわからなくても、100億手読んでいるコンピューターと同じ手を指す人間は「すごい」ということは誰にでもわかります。

 

はっきりいって、この点の言及なくして現代の将棋観戦を語ることは不可能です。それくらい革新的な出来事であり、エンターテイメントに溢れている現代で将棋観戦に根強い人気がある理由の一つだと考えます。ジャンルの歴史や人間ドラマの重みによる強さはありますが、この技術なしに語られてしまっては、評価値導入のきっかけにもなった、電王戦開催の英断に踏み切った故米長会長が浮かばれません。

 

……話が逸れました。つまり「すごい」の可視化はテクノロジーだったり工夫だったりで、解決可能なのではないか?というのが僕の考えです。

 

カードゲームにおける評価値の取り組み

いっときは『Magic The Gathering』での公式配信において、「Player1 Leads」といった形でどちらがリードしてるのかを画面に表示していた時期がありました。これはコンピュータによるものではなく手動でしたが、取り組みとしては評価値そのものでしょう。日本語配信も追随して解説の人がつまみを雰囲気でいじる牧歌的評価値システムがあった気がします。最近の配信を試しに見に行ったら無くなっていました。まだあるリーグ戦とか大会とかもあるのかな?そこはちょっと浅くてごめんなさい。

 

あれが定着しなかったとすれば、それは「すごい」の可視化に繋がらなかったから、ということになるかもしれません。どちらが勝っているか、というのがわかるだけでもプラスではあると思いますが、将棋を例に取れば真に重要なのは難しいシチュエーションでの最善手の可視化であり、すごいことが起きたことを誰でも瞬時に理解できるシステムだったように思います。配信の見やすさではなく、「すごい」瞬間の共有です。解説者と同時に興奮できる必要があるのだと思います。

 

そういう意味で少し毛色は違いますが、

 

 

 

 

これも一種の評価値と言えなくもないのかもしれません。すごいカードを引いたりすごいプレイをされたり、すごいプレイをした時にプレイヤーの数字が跳ね上がったりするわけで、間接的にすごいの可視化に繋がっていたと思います。あと単純にバカっぽくていいですよねこれ。負けた方が機械外して「死んだ……」みたいになってるのとかね。

 

『Shadowverse』はAIの開発に余念がなく、家庭用『シャドウバース チャンピオンズバトル』の完成度から見ても、実はもう全プレイヤーの勝率を超える最強AIが存在していてもおかしくないと思います。ということはプロリーグにおける評価値や候補手の導入は当然検討しているはずですが、将棋の例では絶対的存在が登場すると選手へのリスペクト値が下がることが明らかになっているので、慎重にならざるを得ないのかもしれません。

 

もっと情報を

総合すると、カードゲームの試合はもっと数字を出したら見やすくなるのではないかと考えます。すごさがわかりづらいならすごさをわかりやすくすればいい。

 

特定カードの勝率、特定カードのNターン目のプレイ時の勝率、プレイヤーごとのNターン目の勝率、プレイヤーごとのクラス別勝率、対戦開始時の勝率、プレイ傾向、現在が優勢かどうかの数字化、最善手の表示、このターンで特定カードを引く確率の表示、心拍数、最善となるドローカードの表示、少し考えただけでもこれだけあります。実現が難しいものも多いですが、観戦者の興奮にはそれだけの価値があると僕は信じています。

 

大会が個人レベルともなればこれらの実現は難しいでしょう。他のゲームより盛り上げづらいかもしれません。でもしょうがない。カードゲームを好きになっちゃったんだから。僕たちは『APEX LEGENDS』ではなくカードゲームを好きになってしまったんだから、やるべきことをやるだけです。できることはたくさんあるはずで、そのヒントは色々なところに落ちているはずです。やるしかない。

 

 

暗雲立ち込めるこれからのカードゲーム世界に希望をこめて。

 

 

それじゃあまた。